フランス パテ社の映画製作の再開

 かつて世界の映画産業の頂点に君臨していたパテ社は映画製作を放棄し、興行・配給を行うパテ・コンソルシウム社と、生フィルム工場の運営などを行うパテ・シネマ社に分割されていた。

 パテ社の映画製作放棄の戦略は徹底されなかった。1921年には、パテ・コンソルシウム社によって12話からなる連続映画「三銃士」(1921)がされている。ダグラス・フェアバンクスアメリカで「三銃士」(1921)を製作していたが、パテ・コンソルシウム社による「三銃士」のためにフランスには輸入されなかったという。作品は、動きとリズムに欠けたが、風景・城館・舞台装置が魅力的で、フランス国内および周辺国ではヒットしたと言われている(フランスでは、フェアバンクス版は不評で、フェアバンクスはフランスには二度と行かないと言明した)。

 パテ社の総帥であるシャルル・パテは、映画製作が再開されたことに反対だった。そのため、シャルル・パテはパテ社を去ることになる。