その他のソ連の動向 1921年

 後に「戦艦ポチョムキン」(1925)などを監督し、後世に名を残すことになるセルゲイ・エイゼンシュタインは、演出家のメイエルホルドが設立したGVIRM(映画製作者高等研究所)の受講が認められている。

 レーニンは「プロパガンダとしての製作の理論」を発表し、「映画はイデオロギーの発達に寄与するために用いなくてはならない」と主張している。だが、当時のロシアは内戦の影響で、1,045館のうち550館のみが営業または営業可能状態であったに過ぎなかったという。