映画と環境

 私は学生時代に映画館でバイトをしていた。「ハムナプトラ」(1999)の上映が終わった後、1人のおじさんが帰り際に私に言った。「映画館で見るような映画じゃないな。映像も音響も家で見た方が、迫力がある」と。

 今の私の家には大画面の液晶テレビにブルーレイ・プレーヤー、サラウンドの音響システムがある。妻は言う。「古い映画ばかり見てるから、実力を発揮されてないよね」と。


 映画を見るのに、環境はどれほど人に影響するのだろう。映画とは何かの機械を通して、スクリーンや、ブラウン管、液晶画面などに映し出される映像を見るメディアである。フィルム自体を見ても、テープを見ても、ディスクを見ても、映画を見ることはできない。そのため、映し出される映像が機械によって変わるという特性を持っている。

 かつて音すら持たなかった映画は、今では迫力の音響を持っている。かつて色すら持たなかった映画は、今ではどんな色でも表現できる。複雑になった映画は機械に頼る部分が多くなった。それゆえに、映画を話すのと同様に、映画を映し出す環境(機械など)を話すことも多くなった。


 私も、ブルーレイの映像がどうとか(ほとんど古い映画しか見ないのに)、音響がどうとかいった話をする。しかし、重要なのは映像や音響自体ではなく、映像や音響の体験なのではないかと思う。少なくとも、映像や音の専門家ではない人々にとって、映画とは映像と音の総体であり、映画を見るとは映像と音を体験することなのだ。その結果、感じたもの。それが、映画についての感想なのだろうと思う。


 私が初めて「ゴッド・ファーザー」を見たのは、土曜日の昼のズタズタにカットされた再放送で、テレビは確か14インチだった。2回目に見たのは、友人から借りた古いビデオで画質は悪く、一緒に見た父親は呟いた。「昼のシーンなのに雨降ってるみたいだな」と。

 もし、テレビがもう少し小さかったら。もし、雨の粒がもっと大きかったら。私(と父)は、「ゴッド・ファーザー」を楽しめなかったかもしれない。しかし、私にとって重要なのは、今から考えると劣悪ともいえる状態で見た「ゴッド・ファーザー」が、私を完全に魅了したということだ。