時代劇が日本映画の重要なジャンルとなったわけ

 ジェダイは、「スター・ウォーズ」シリーズに登場する宇宙の平和を守る人々の総称である。ジェダイの騎士たちの武器は、ライト・セーバーと呼ばれる光線剣だ。「スター・ウォーズ」(1977)の爆発的なヒットの理由に、様々な娯楽映画の要素をSFに付け加えた点が挙げられている。その要素には、冒険活劇や西部劇の他に剣戟もあり、その象徴がライト・セーバーだ。ジョージ・ルーカスが否定しているにもかかわらず、ジェダイという言葉は時代劇からきているという話もある。

 「時代劇」とは日本だけに存在するジャンルだ。チョンマゲをして刀を差した侍たちが登場する映画というのが、外国から見たときの時代劇のイメージだろう。日本人にとっての時代劇とは江戸時代までを舞台したものを指す。どこまで遡るかについては難しい問題だが、私の感覚では戦国時代以降というイメージだ。

 時代劇における最大の特徴は剣戟だ。時に1対1で、時に1対大勢で、時に馬に乗って行われる剣戟は、日本の歴史における戦いを代表する構図だ。外国でも剣を使った戦いが行われたが、途中から鉄砲や拳銃へと移っていく。ここに日本ならではの特徴が見られる。織田信長が鉄砲を有効に使い、武田勝頼に快勝するという出来事があったにも関わらず、その後の日本では鉄砲などの銃器は表舞台から姿を消す。江戸幕府は、幕府への反乱を抑える意味もあり、鉄砲の使用を原則的に禁じた。四方を海に囲まれているという地理的条件もあり、日本は国内の治安を守ることで平安を得ることが出来た。

 江戸時代から明治時代へと時代は移った。舞台の世界でも、江戸時代以前を舞台にした「旧劇」と、明治以降を舞台にした「新劇」が区別されるようになった。ここには、明治維新によって日本が生まれ変わったという、明治政府の考え方や日本人のメンタリティも反映されているといえるが、ここで言いたいのはそういうことではない。

 明治時代の後半に映画が生まれた。映画はもちろん、江戸時代以前を舞台にした作品を作り、それは時代劇と呼ばれた。動きに満ち溢れた時代劇で描かれる剣戟は、映画に合ったものだった。敵を殺すという点において比較すると、指がトリガーを引く動きで相手を殺すことができる拳銃や鉄砲と比較して、刀は相手を突き刺したり、斬りつけたりという大きなアクションを伴う。しかも銃器と異なり相手に接近しなければならず、そのために相手の抵抗にあいやすく、そこでもまたアクションが生まれる。日本映画は、時代劇という映画向きの題材を歴史の中から見つけ出すことができたのだ。

 もう1つ重要なことは、当時の日本人たちにとって、侍の時代は遠い過去の話ではなかったという点がある。何百年も前の話ではない。つい数十年前までは侍の時代だったのだ。現在の私たちにとっては歴史上の登場人物である幕末の志士たちは、明治時代の人々にとっては、より身近な存在だった。

 アメリカにおける西部劇も、日本における時代劇と同じような点がある。現在では歴史上の人物であるワイアット・アープは、ハリウッドを訪れたことがあるという。アメリカ政府がフロンティアの消滅を宣言したのは、映画が誕生したとされる1895年のわずか5年まえの1890年だ。

 時代劇も西部劇も、当時の日本人やアメリカ人にとって、現在の我々よりも近い時代を扱っていたことが、人々に受け入れられやすかったと言える。しかし、違いもある。それが時代劇の剣戟が、アクションに満ちていた点だ。

 時代劇が刀を使う、アクションに溢れる戦いだった点は、日本映画にとって幸だったのか不幸だったのかは分からない。もしかしたら、アクションに乏しい銃器による戦いを扱っていたからこそ、アメリカ映画は世界に先駆けて撮影法や編集を工夫していったのかもしれない。対して、日本映画は、時代劇が刀を使ったアクションに溢れるものだったからこそ、映像によって語るという点が遅れたのかもしれない。

 どちらにしても、これだけは言える。日本人は時代劇という、日本人ならではのジャンルを持っており、そこには剣戟のアクションの魅力に溢れている。それを大事にしようではないか。