映画評「ハートの一」

 原題「THE ACE OF HEARTS」 製作国アメリ
 ゴールドウィン・ピクチャーズ・コーポレーション製作・配給
 監督ウォーレス・ワースリー 製作サミュエル・ゴールドウィン 原作ガヴァナー・モリス 
 出演ロン・チェイニーレアトリス・ジョイ、ジョン・バワーズ、ハーディー・カークランド

 とある高級アパートに集まっている、身分の高そうな5人の男たち。そこに「コンコンコン、コン、コン」というリズミカルなノックの音、男たちの一人が「コン、コン、コンコンコン」とリズミカルにノックを返す。ノックのリズムは暗号のようだ。ドアを開けると、男が入ってくる。その後にも、また一人。テーブルを囲んだ彼らは、ある男を暗殺する計画を立て始める。

 謎に溢れたオープニングだ。グッと引き込まれるものがある。1921年という時代は、まだ第一次大戦が終わってから間もなく、ロシア革命の影響から共産主義者のテロリストの存在が身近な存在として感じられていた。「ハートの一」の組織は、こうした時代を反映している。ちなみに、チェイニーが演じた役名は、原作ではロシア人的なラタヴィッチという役名だったが、現実との距離を置くためにファラロンという名前に変更されたという。

 暗殺に全員一致で賛成する謎だらけの組織のメンバーたちだが、徐々に人間的な側面が見えてくる。トランプのハートのエース(タイトルの由来)を掴んだ人間が、暗殺を実行することになる。自分以外の男が暗殺を実行することになり、メンバーの1人は安堵の言葉を吐く。「よかったよ。うちには妻と子供たちがいるんだ」と。

 暗殺はフォレストという青年が行うことになる。フォレストはメンバー唯一の女性リリスを愛しており、2人は実行を前に結婚することになる。同じくリリスを愛しているメンバーの1人ファラロンは、嫉妬から2人がアパートの中に消えていった後も、嵐にも関わらずアパートの前に立ち尽くしている。そして、結婚して初めての朝を迎えたフォレストとリリスの2人は、互いへの愛から暗殺の実行にためらいを感じている。

 オープニングでは、堅牢な意思ゆえに非人間的にすら感じられた組織のメンバーは、徐々に人間性を見せていく。「暗殺はいけない」というモラリスティックなメッセージは、こうしたメンバーの気持ちの変遷をきっちりと描いて見せることで、説得力を持たせている。

 「ハートの一」の中心にいるのはチェイニー演じるファラロンだ。中年で渋いわけでもないチェイニーは、当然のように若いフォレストにエリスを持っていかれてしまう。そんなファラロンが出来ることと言えば、嵐にもかかわらずアパートの前にたたずむことだけである。この嵐がすごい。傷心のファラロンをさらに痛めつけるかのように吹き荒れる嵐。嵐が明けた後、1匹の犬がファラロンの近くに寄って来る。まるで、ファラロンの気持ちを分かってくれるのは犬だけであるかのように。悪人顔のチェイニーだからこそ、この少年のような純粋な行動は、悲しみを湛えている。

 映画としての雰囲気の変遷は、「ハートの一」の魅力の1つだ。謎だらけのオープニング、中年の恋愛物語となる中盤、さらに後半では爆弾を使ったサスペンスも見せてくれる。爆弾を使ったサスペンスでは、「朝食のメニューが決まるまで動くな」とフォレストが命じられることで、「もう少しで爆発するかも!」というドキドキが感じられるように見事に演出されている。

 もともとのラストでは、組織のメンバーの1人が若い2人に対して、「自分も愛の素晴らしさが分かった」と語るシーンがあったらしいが、製作のゴールドウィンが「蛇足だ」としてカットしたという。確かに蛇足だ。さすがゴールドウィンだ。

 内容的には説教臭い作品である。だが、謎・恋愛・サスペンスと目まぐるしく雰囲気を変える展開と演出は魅力的だ。さらに、中年で悪役顔のロン・チェイニーの純愛まで見せつけてくれる。良質な短編小説を読んだ後のような感覚が、「ハートの一」にはある。