映画評「汚点」

 原題「THE BLOT」 製作国アメリ
 ロイス・ウェバー・プロダクションズ製作 F・B・ウォーレン・コーポレーション配給
 監督・製作・脚本ロイス・ウェバー

 隣同士のグリッグ家とオルセン家。大学の教授をしているグリッグ家は貧しく、靴職人であるオルセン家は裕福だ。金持ちの青年フィルは、グリッグ家の美しい娘アメリアに恋をしている。そんなある日、図書館で働くアメリアは過労で倒れてしまう。

 サイレント映画期に活躍した、数少ない女性監督の1人であるウェバーが監督を務めた作品である。ウェバーの作品の中でも、高く評価された作品であるという。

 大きな出来事は起こらない(最も大きな出来事は、グリッグ夫人によるチキン泥棒だ)。多くの人物たちが登場し、絡みあう。ただそれだけの物語なのだが、細かな襞の部分に情感がたっぷり込められている。

 「良い人間」「悪い人間」にキャラクターを分け、どちらかに共感できるように作られてはいない。その代わりに、誰もが人間くさく、誰もが自分に共通の部分を持っている。貧しいグリッグ家に共感を寄せられるように作られていながら、一方でグリッグ夫人に泥棒を働かせて見せる。金持ちのフィルは、美しいアメリアに近寄ることが目的だったとはいえ、貧しさの問題に目を向けるようになる。オルセン夫人は、虚栄心の塊のように描かれる一方で、心やさしい一面も見せる。

 派手さで興味を引く映画ではない。細やかに描かれた人間たちが交錯するという、地味な点が魅力の映画だ。それを支えるのが役者陣だ。特にグリッグ夫人とオルセン夫人の2人は、いつも見せる表情と心の奥底に眠る表情の両面を見せ、印象に残る演技を見せる。

 倒れたアメリアを見舞いに来たフィル。グリッグ夫人は、金持ちのフィルとアメリアの距離を縮めようとして、急いで買い出しに行って、なけなしの金をはたいてケーキを買ってくる。しかし、ケーキを用意して2人の元へやって来ると、フィルはすでに帰っており、代わりに貧しい牧師がいる。その時のグリッグ夫人の絶望の表情!

 貧しいグリッグ家に対して、常に見下した態度を崩さないオルセン夫人。だが、母親が犯したチキン泥棒の罪について、アメリアの謝罪の言葉を聞いているうちに、徐々に心は和らいでいく。その時のオルセン夫人の表情!

 主要な登場人物たち以外にも目を向けられている点にも触れておきたい。特に失恋する3人の男女(フィルに惚れている上流階級の女性、アメリアに惚れているオルセン家の長男と牧師)たちには、決してドラマチックなシーンがあるわけではない。だが、行動や表情から恋の苦しみは伝わってくる。長い時間を費やされていないものの、こうした脇役達のドラマまで描かれているというのは驚きですらある。ウェバーの細やかな配慮があってこそだろう。

 世の中、こんなにいい人たちばかりではないし、ラストでは急速に社会問題に対する提起と安易な解決が図られる。こうした欠点をあげつらっても仕方がない。「汚点」は映画だ。地味で、静かで、細かい部分にまで配慮された優れた映画だ。

 当時、ウェバーは多くの作品を監督していたが、そのどれもが評価が高い上に、興行的にも成功を収めたといわれている。この作品を見ると、その理由がわかる。ウェバーが、細やかな表現で人間たちの細かい心理の襞を映画にすることが出来る、稀有な監督だからだ。