映画評「MISS LULU BETT」

 製作国アメリカ パラマウント・ピクチャーズ・製作・配給
 監督ウィリアム・C・デミル 製作アドルフ・ズーカー 原作ゾーナ・ゲイル 出演ロイス・ウィルソン

 ルルは母親と姉夫婦と姉夫婦の子供たちと一緒に暮らしている。一家の家事はルルが一手に引き受けている。ある日、姉の夫の弟ニニアンがやって来て、2人は結婚することになる。だが、ニニアンには結婚歴がある上に、はっきりと離婚していなかった。

 原作はゾーナ・ゲイルによる戯曲で、ピューリッツァー賞も受賞した作品だ。家庭内で家事を一手に引き受け、その上無報酬であるルルのような存在は、当時のアメリカでは多く見られたのだろう(冒頭の字幕でもそのことが示される)。そうした隠れた存在にスポット・ライトを当てた作品である。

 当時のパラマウントは、有名な小説や戯曲を多く映画にしていた。そして、そうした作品を多く監督した1人がウィリアム・C・デミルである。ウィリアムは、セシル・B・デミルの兄であり、舞台の経験も豊富だった。こうした点で、名前的にも舞台劇を監督するのにうってつけの人物だったのだ。だが、名前だけではなく、ウィリアムの舞台の映画化が相当の腕前であることが、この作品でわかるだろう。

 演出は非常に舞台的だ。室内を中心とした狭い空間で物語は繰り広げられる。セリフが多く、映像だけではストーリーは分からないかもしれない。しかし、舞台の映画化であることを割り切っており、その枠の中でいかにテンポよく、いかに分かりやすく観客にストーリーを伝え、俳優たちの演技を見せるかに苦心しているかのようだ。そして、それは成功している。

 映画の演出は非常に平凡だ。だが、平凡だからこそ演出に気を取られずに、ルルの悲しみを感じ取ることができた。ルルがどうなるかが気になって仕方がなかった。もちろん、ストーリーに興味が持てない人にとっては退屈な作品だろうが、少なくとも私は興味を持つことができた。

 映画の焦点がルルに合わせられている点は指摘しておく必要があるだろう。映画の中の登場人物の中で、ルルだけが見た目が変わる。序盤の疲れきった表情から、後半の経験を積んだことと愛される人を得たことから生まれる強さを感じさせる表情。髪型やメイクも、これに伴って変化している。そして、髪をほどいた時の妖艶さ、ニニアンの語る南米での経験談を夢中で聞いている時の無邪気さ、ルルに惚れた教師のキスを断るときの意志の強さ、自分を家政婦のように使ってきた家族への怒りが爆発する時の激情・・・・・舞台の最大の魅力が俳優の演技を堪能することだとしたら、この作品にはルルを演じるロイス・ウィルソンの見事な演技が焼き付いている。それだけでも、舞台劇の映画化として成功だろう。

 当時、映画は舞台や小説といった既存の芸術と比べると、一段低い存在として認識されていた。そして、映画らしさを発見していくことで、既存の芸術に追いつき、追いこそうとしていた。今の私たちが当時の傑作として評価されるのは、映画らしさを追求した作品であることが多い。この作品のように、舞台に追随した作品は、当時の評価はともかく、現在では忘れられがちだ。舞台劇の魅力を活かした映画化作品として、見本とも言える作品といえる。