映画評「SEVEN YEARS OF BAD LUCK」

 製作国アメリカ  マックス・ランデー・プロダクションズ製作
 ロバートソン=コール・ディストリビューティング・コーポレーション配給
 監督・製作・脚本・出演マックス・ランデー

 鏡を割ってしまった有閑紳士のマックスは、不幸が訪れるという迷信を恐れて行動するうちに、婚約者のベティに嫌われてしまう。さらに財布を盗まれてしまったマックスは、無賃乗車を試みて警官たちに追われる身になってしまう。

 1900年代の中頃からフランスで短編コメディに出演して人気を得たマックス・ランデーが、アメリカで製作・監督・脚本も務めて作られた作品である。

 冒頭の鏡のシーンが見事だ。姿見を割ってしまった召使がマックスを誤魔化すために、マックスに(少しだけ)似たコックを鏡の向こう側に立たせて、マックスと同じ動きをさせる。このあと、様々な映画やコントで繰り返されるギャグだが、この作品ではオチも見事に決まっている(騙されていることに気付いたマックスが靴を投げると、急いで運ばれた鏡を再び割ってしまう)。

 鏡のギャグに見られるように、この作品は非常に丁寧に作られているように感じられる。大きな人の影に隠れて無賃乗車をするギャグといい、石を口の中に入れて頬を膨らませて変装するギャグといい、非常に丹念に作りこまれている。しかし、この丹念さがスピード感を欠いているようにも感じられた。警官に追いかけられるという設定は、コメディの雛型ともいえるものだ。ハロルド・ロイドバスター・キートンの作品が、スピード感の中にギャグを織り込むことで、爆発力を生んだのに対して、この作品は丹念だがテンポは遅い。

 ランデーは自分の資質に自信を持っていただろうし、多くのコメディを研究したのだろう。その結果生まれた作品は、ランデーの資質を感じることができる一方で、他のコメディと似た設定のために、スピード感の欠如が気になった。

 スピード感の欠如=欠点ではないと思う。それはそれで別の魅力があればいい。だが、アメリカのコメディで多く描かれた設定、多く描かれたストーリーは、ランデーの魅力を発揮しきれていないように感じられた。