テイラー監督殺人事件と、ハリウッドへの批判の高まり

 ハリウッドへの批判が高まっていた。

 前年起こったロスコー・ファッティ・アーバックルの事件に加えて、コメディ女優のメイベル・ノーマンド(キーストン時代のチャールズ・チャップリンの相手役としても知られる)と女優のメアリー・マイルズ・ミンターが、映画監督のウィリアム・デスモンド・テイラー殺害事件に巻き込まれるというスキャンダルが起こった。2人は、生きていたテイラーと会った最後の人物として捜査に巻き込まれたのだった。2人の容疑は晴れるが、その後人気は下降線をたどることになる(下降線をたどった原因は、スキャンダルだけではなく、病気や出演作の出来の悪さの方が大きかったとも言われている)。また、テイラーの遺品から、女優たちの名札をつけた下着が多数発見されたことから乱脈ぶりが取りざたされた。

 1920年代初めのスターの生活は地味だったという。1922年当時、ハリウッドには91の撮影所があったが、それ以外にはほとんど何も無く、ハリウッドは小さな町に過ぎなかった。スターの報酬が急増し、豪華な住宅に住めるようになってからスターたちの生活は変わった。ナイトクラブが増加し、スターは人々の目を避けるように遊んだと言われている。アーバックルやテイラーといったスキャンダルが、スターも「普通の人」という大衆のイメージを壊したのだった。

 批判は当初、ハリウッドの金持ちの映画人たちの私生活に向けられていたが、徐々に批判は映画の内容へと移っていった。

 一方で、当時のハリウッドの人びとの性行動が、後の性解放と結びついているという意見もある。ロバート・スクラーは、「アメリカ映画の文化史」で次のように書いている。

 「ハリウッドと性行動は、1920年代の新しい道徳―あるいは道徳の欠如―の最先端として多いに喧伝されたし、ハリウッドの金魚鉢族が、過去半世紀のあいだにアメリカの大衆の行動の中でしだいに大きな役割を果たすようになった性解放の先駆者だったと信ずるに足る理由はある」

 1922年に映画興行の入場者数は急に減少し始めていた。1920年末からラジオ放送が始まったことや、労働者階級でも自動車が手に入るようになり人びとの娯楽が多様化したことが、原因として挙げられている。だが道徳家たちは、映画スターの振舞いとわいせつな映画に大衆が不満を持ったためと主張した。

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

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