映画評「路上の霊魂」

 松竹キネマ配給 松竹キネマ研究所製作
 監督・出演 村田実 指導・出演 小山内薫 脚色 牛原虚彦

 父の反対を押し切り、バイオリニストを目指して上京した浩一郎は、夢破れて妻と娘を連れて実家に戻ってくる。しかし、父は浩一郎を許さず、猛吹雪の中を家から追い出す。一方で、出獄してきた2人組が、食べ物ほしさから、金持ちの家庭に侵入しようとする。

 当時まだできたばかりの松竹キネマの中で、それまでの引き写し的な映画からの脱却を目指して、演劇界から小山内薫を招いて作られたのが、松竹キネマ研究所であった。

 「路上の霊魂」は、そんな松竹キネマ研究所の作品らしく、非常に野心的な作品である。心情を表現するのに二重写しを使ったり、2つのエピソードを対比させて「憐れみ」について考えさせるためにカット・バックを使ったりと、それまでの日本映画にはなかった試みがなされている。

 バタ臭い(西洋的、西洋かぶれである)と批判されたらしい。確かに、オープニングに大仰なタイトルが出る点がD・W・グリフィスの映画を見るようだ。金持ちの令嬢の描写もまた、当時のアメリカ映画のどこかで見たことがあるようなものだ。

 良くも悪くも、「路上の霊魂」は欧米、特にアメリカ映画の影響を受けている。そして、内容も演出も、正直言って焼き直しといってしまってもいい。だが、当時の日本映画が、この作品を特筆すべき映画として取り上げなければならない状況だったということを忘れてはならない。

 身も蓋もない言い方をしてしまうと、現在からみると、「路上の霊魂」は普通の映画だ。当時の日本映画は世界の映画と比べて独自の存在であった。私は、普通の存在である「路上の霊魂」よりも、独自の存在であった当時の他の日本映画をもっと見てみたい。