ドイツ フリッツ・ラングとテア・フォン・ハルボウの結婚

 「ドクトル・マブゼ」(1922)の脚本は、フリッツ・ラングの名声を高めた「死滅の谷」(1921)と同じように、テア・フォン・ハルボウと共同で執筆された。ラングとハルボウは1922年に結婚している。2人とも2度目の結婚だった。ハルボウの先妻は、俳優のルドルフ・クライン=ロッゲだった。だが、ロッゲと2人の間にわだかまりはなく、ロッゲはラング=ハルボウのコンビ作品すべてに出演している。

 ハルボウはまさに公私共にラングのパートナーとなった。そんなハルボウの功績について、小松弘は「スピオーネ」のDVDのブックレットの中で次のように書いている。

 「通常はラングの功績ばかりが注目されて、ハルボウの貢献は軽視あるいはむしろ低く評価される傾向があるが、ハルボウの刺戟に満ちた脚本がラングの映画的頭脳を最大限に起動させたのは疑いのない事実だろう。事実、ラングはハルボウのことを彼の芸術の真髄を開花させる最も重要な原動力であるとみなしていた。強力なパートナーの存在があってはじめてラングは本領を十分に発揮できたわけだし、裏を返せばハルボウなきラングは自らの才能を萎縮させてしまうのだ。ラングのアメリカ期の作品が今ひとつ従来のラングらしさに欠ける原因は、環境が大いに変化したことがもちろん加味されるが、彼の描く想像世界をスクリーンに実現させるに不可欠であった魂の共有者の喪失が一番大きいのではないだろうか」



映画評「ドクトル・マブゼ」