ドイツ 「ドクトル・マブゼ」 敗戦後の混乱したドイツ精神の投影

 フリッツ・ラング監督は、「ドクトル・マブゼ」(1922)を監督している。催眠といった超人的なパワーを持つ悪漢マブゼを描いた連続小説を映画化した作品で、ラングが得意としていた探偵物に表現主義的な舞台装置を結びつけた作品と言われる。敗戦後の混乱したドイツの状況を反映した作品で、オットー・フンテによる表現主義的・怪奇的なセットによってリアリティが与えられていたという。小松弘はDVD「ドクトル・マブゼ」のブックレットの中で、次のように書いている。

 「マブゼ博士は明らかに超人として描かれているが、彼の欲望はあまりにも露骨に人間的だ。そしてまさしく彼の欲望は、第一次大戦直後の混沌としたドイツ社会にあった人々の欲望を反映していた。それがゆえに、この映画は時代のドキュメントとしても見ることが出来るし、フリッツ・ラング自身、後のインタビューの中でそのことを表明している」

 通常の連続劇とは異なりスタジオ内で撮影されているが、それほど表現主義的ではなく、ドイツの同時代の現実と関係を持とうとした作品である。強力な催眠パワーで多くの手下を従えるさまは、ナチスの勃興を予言しているとも言われる。18歳未満禁止で上映された。

 「ドクトル・マブゼ」を製作したのはウーファ・グループの一員として映画製作を行っていたウーコという会社である。ウーコは、元々が大手出版社であるウルシュタイン社の出資によって作られた、ウルシュタイン社が権利を持つ原作の映画化を目的として会社だった。出版社が映画製作し、自分のところの出版物で賞賛するという現象に批判もあったが、「ドクトル・マブゼ」については、ウルシュタイン社以外のメディアもこぞって高い評価をしたという。ちなみに、セルゲイ・エイゼンシュテインは、「ドクトル・マブゼ」のソ連版製作の再編集で本格的に映画の仕事を始めている。

 「ドクトル・マブゼ」は興行的に大ヒットし、すでに「死滅の谷」(1921)で批評的に成功していたラングは、「マブゼ」で批評・興行の両面で大成功を収め、ドイツを代表する映画監督となった。



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