その他のソ連映画 1922年

 後に「戦艦ポチョムキン」(1925)を監督するセルゲイ・エイゼイシュテインが、舞台から映画界入りしたのもこの年である。フリッツ・ラング監督の「ドクトル・マブゼ」(1922)のソ連版再編集の仕事で、エイゼンシュテインは初めて本格的な映画の仕事を行った。レフ・クレショフのもとに2週間通って、毎日12時間編集の手ほどきを受けたという。

 1920年以後も、経済の混乱などから劇映画はあまり製作されなかったが、この年「ポリクシュカ」(1922)が製作されている。トルストイ原作の作品で、帝政時代の農奴制を批判したものだった。スタニスラフスキー一座の有名な俳優が主演した。6巻の大作で、初の外国輸出されたソビエト映画である。

 一方で、ソ連の映画製作を管理していた全ロシア写真映画局(VFKO)は、映画製作会社ゴスキノ(国立映画)となっている。また、ソ連邦の一員であるアゼルバイジャンでは、1922年にアゼルバイジャン写真・映画企業が設立されている。



映画評「ドクトル・マブゼ」