映画評「愚なる妻」

 製作国アメリカ 原題「FOOLISH WIVES」
 ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー製作・配給
 監督・原作・脚本・出演エリッヒ・フォン・シュトロハイム
 撮影ウィリアム・H・ダニエルズ、ベン・F・レイノルズ
 出演ルドルフ・クリスティアンズ、ミス・デュポン、モード・ジョーンズ、メエ・ブッシュ、ハリソン・フォード


 後に呪われた監督の一人となるエリッヒ・フォン・シュトロハイムによる作品である。

 シュトロハイムが最初に完成させたバージョンでは、6時間半あったという「愚なる妻」だが、私が見たバージョンは108分のものだ。現存するフィルムではもっとも完全版に近いものだと思われる。


 「愚なる妻」に満ち溢れるのは、現実感だ。それはたとえば、モンテ・カルロの街並みを、大金をかけて再現したいった見た目の部分ではない。
 
 上流階級を舞台にしていながら、シュトロハイムは上流階級を現実離れした夢の世界のようには描いていない。セシル・B・デミルの映画に出てくる上流階級の人々は、コスチュームやセットなどにどんなに金がかけられていようが、それは上流階級以外の人々にとってはまったく別世界の物語として映る。

 メロドラマ的な部分もあるものの、シュトロハイムは舞台や物語の中に登場するような夢物語的なメロドラマとはしていない。D・W・グリフィスの映画ではグリフィスが理想とする女性たちがメロドラマを繰り広げるが、それは別世界の物語として映る。グリフィス自身が書いていると思われるセリフやナレーションの字幕の大仰さは、別世界の物語の雰囲気を増大させる。

 「愚なる妻」には、完全に感情移入できるような人物は存在しない。悪事を働いていない人々も、愚かな部分を持っており、善と悪の二分法で割り切れない作品となっている。現実世界がそうであることを考えると、「愚なる妻」は間違いなく「ドラマ」である。

 二分法で割り切れないのが上流階級の人々だけではないという点も指摘しておかなければならないだろう。偽伯爵が結婚の約束をした(おそらく、体を求めるために)メイドと、偽伯爵らに偽札を売っている男の2人は、上流階級に所属する人物ではない。しかし、2人は「愚なる妻」の中で大きな役割を果たす。メイドは世間知らずゆえに偽伯爵にだまされ、20年かけて貯めたなけなしの貯金まで吐き出さしてしまう。そこだけを見ると、メイドはかわいそうな存在なのだが、シュトロハイムのセンチメンタルさを排除した演出は、メイドの世間知らずな愚かさも罪のように描き出し、単純な「善」の役柄とはしていない。また、偽札作りという犯罪者である男は、娘を純粋なまでに(手を出した男を殺すほど)愛している。この愛ゆえに、単純な「悪」の役柄とはなっていない。

 とはいえ、「悪」を担当するシュトロハイム演じる偽伯爵と、偽公爵夫人は、二分法で割り切れてしまうほど「悪」を背負っている。「愚なる妻」がドラマとして足りない点があるとしたら、ここではないかと思う。元々の6時間半のバージョンや、シュトロハイム自身が編集したという3時間半のバージョンに、もしも偽伯爵らを二分法で割り切ることができない部分があったとしたら、「愚なる妻」はドラマとしてより高い完成度を持ったことだろうが、それを確認することはできない。

 シュトロハイムは偽伯爵をこれでもかというほど冷徹に描き出している。大使婦人の着替えを鏡を使って覗き見するシーンで、ピントが合っていない鏡に映った偽伯爵の表情は、これ以上ないほどの下品さを見せる。メイドのなけなしの貯金を奪い取ろうとして行う芝居(水を手につけて、テーブルマットに垂らすことで、泣いているようにみせかける)の巧妙さと、芝居が成功していることを喜ぶ表情のいやらしさは絶品だ。下品さといやらしさの表現において、「愚なる妻」のシュトロハイムは映画史に残るだろう。一方で、「愚なる妻」のドラマ性を薄めているとしても。

 「愚なる妻」にはもっと残酷な描写があったが、検閲によって削除されたといわれている。淀川長治氏が見たバージョンのラストでは、下水道に捨てられた伯爵の死体が、大雨によって犬の死体と頬を寄せ合うように共に浮いてくる描写もあったという。これらの残酷描写が残っていたら、どれほど印象が変わるのかを確認することは出来ない。

 スタジオによってカットされたという話は、今も昔もあるが、カットされる前の方が、カットされた後よりも優れていたという保証はない。私たちは、現存しているフィルムを見ることしかできないから、確かめようもない。「愚なる妻」は、現存しているフィルムだけでも、「ドラマ」として一級品の魅力を保持している。1922年当時においては、なおさらなことだったと思われる。


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