映画評「極北の怪異(極北のナヌーク)」

 製作国アメリカ・フランス 原題「NANOOK OF THE NORTH」
 Les Frères Revillon、パテ・エクスチェンジ製作
 監督・脚本・撮影ロバート・J・フラハティ

 長編ドキュメンタリー映画の元祖とも言われる作品。と言っても、公開当時はまだ「ドキュメンタリー」という言葉は一般的ではなく、したがって「ドキュメンタリー映画」の定義もあいまいだった(今もあいまいだが)。

 「極北の怪異」はロバート・J・フラハティによって監督・撮影された、イヌイットの生活の再現を映したものである。主人公のナヌークの妻として登場する人物は、実際には妻ではなかったという。また、レコードで音楽を聞いたナヌークが、仕組みがわからず、レコードを噛んでみるというシーンがあるが、ナヌークは前にレコードで音楽を聞いたことがあったという。さらには、映画の中ではモリやセイウチの牙を研いだナイフを使っているが、当時すでにライフルや鋼のナイフを使っていたという。

 こういったことから、「極北の怪異」はドキュメンタリー映画ではないという捉え方をする者も現在では多い。確かに、現在の基準で言えばそうだろう。だが、公開当時の状況について考えると、「極北の怪異」がドキュメンタリー映画であるかどうかという議論はともかくとして衝撃的な作品であったことは想像できる。

 公開当時、ロケ撮影は普通のことになっていたが、映画内の舞台が遠くの場所であっても、手近なところで手近な役者で撮影するのが常であった。たとえば、ルドルフ・ヴァレンティノ主演の「シーク」(1921)は、カリフォルニア近郊の砂漠で撮影されているし、登場人物もアメリカ人俳優が演じている。特にツンドラ地方であるナヌークの住む地域へロケ撮影に行くということは、リスクも大きく、予算の面でも難しいことだった。そんな中、「極北の怪異」は、わざわざカナダ北東部のツンドラ地方にまで出向き撮影し、それを長編映画に仕上げたという点でこれまでにない作品だったのだ。しかも、舞台はよく知られた地域ではない。ほとんど人類学者しか知らない地域に住む人々の様子は、演出されているかどうかといった点を越えて、人々の度肝を抜くのに十分なインパクトを持っていたことだろう。

 映画のほとんどが演出されていようとも、映画の中での生活が再現されたものであろうとも、しかもその生活が1922年当時以前の生活様式であろうとも、フラハティのイヌイットの生活をフィルムに収めたいという野心とその成果はいささかも傷つきはしないだろう。


 衣食住。この3つが「極北の怪異」を構成している3大要素といえるだろう。特に、食と住については、見所がたくさんある。釣った鮭の頭を噛むというとどめを刺す方法、2トンもあるセイウチにモリを突き刺して大勢で引き上げる様子、アザラシの呼吸穴を見つけてそこにモリを刺して引き上げる様子など、食のために行われる行動は非常に興味深い。特に捕らえたあと、解体した肉やラードをその場で食べる様子などは、現在の私たちの生活とは遠くはなれた世界の話のようだ。一方、私たちの食べ物はスーパーなどに並ぶ前に、生々しい解体が行われているという当たり前の事実を思い出させる。

 住の最大の見所は、イグルーの建設だ。凍った雪をブロック状に切り取り、積み上げていき、隙間は雪を埋めていく。透明な氷をブロック状に切り取り、窓にする。私たちがイメージするイヌイットの住居、半球状の建物が実際に創りあげられていく様を見ているだけで、何かしらの感動すら覚えてくる。このシーンには、単純に人間が何かを作り上げていくということが、どれだけ素晴らしいことなのかということかを改めて教えてくれる(その後に続くイグルー内の生活のシーンが、明らかに別セットで撮影されていようとも)。

 こういった多くの時間を割かれて描かれるものの他にも、「極北の怪異」はイヌイットの人々の生活様式をさりげなく表現してみせる。たとえば、「唾」の使い方。氷点下の気温が続くイヌイットの生活では、水は氷を溶かさなければならない。そこで、顔を拭くときには唾が使われる。また、犬ぞりの底に唾を塗って凍らせることで、犬ぞりの滑りをよくする(このとき、ナヌークは素手で唾を犬ぞりの底に塗る。塗った後に冷たさで痛む手をナヌークは必死に温める。イヌイットの過酷な生活があらわになる素晴らしいシーンだ)。

 寒さ。それは、イヌイットの生活を描く上で欠かすことが出来ないものだ。「極北の怪異」では、寒さをさりげなく、しかし確かに描いている。

 他にも、犬ぞりを引く犬たちの表情は、私たちが日本で見る犬とは少し違う。目はぎらつき、歯は尖っている。一言で言うと野生的なのだ。こういったちょっとした違いが、イヌイットの生活を知る一助となっている。


 「極北の怪異」は、演出されたものではあるが、劇映画というとどこか違和感がある。最も近いのは、イヌイットの人々の生活のリアルな「再現映像」であろうか。演出されることによって、当時のイヌイットの生活がまったくわからない作品となっているのであれば、「極北の怪異」に価値はないだろう。しかし、時間を割かれて描かれている部分にも、さりげなく描かれている部分にも、イヌイットの生活を感じ取る一助が満載の「極北の怪異」は、ドキュメンタリー映画かどうかといった議論はさておいても、素晴らしい作品であるといえるのではないだろうか。


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