スターの時代と、プロデューサーの時代

 「1920年代がハリウッドの歴史の中でもあのように風変わりな時代に見えるのは、単に時間的な隔たりのためではない。(中略)真実はハリウッドの生活がしばしば映画の中の生活を『真似る』ことにある」(P132)

 「彼ら(スター)を生み出したスター・システムは成長期にあったし、スターの力を抑制しようとする撮影所のシステムはまだ完全に整っていなかった」(P133)

 アレグザンダー・ウォーカーは、1920年代始めから中頃にかけてのスターをめぐる状況を「スターダム」の中で、上のように書いている。

 当時スターは、自身が映画のヒットのために不可欠な存在出ることを認識すると、映画会社と有利な契約を結び、百万長者になり始めていた。スターたちは、映画の中の登場人物の生活を真似て、実際の生活を過ごしていたのだった。そして、そんなスターたちを抑制するようなシステムはまだなかった。観客もまた、スターが浪費し、常識外れの生き物であることを望んだ。

 安定的な職業ではないスターたちにとっては、浪費が特権的地位を守る一つの方法だったとも言われている。また、スターたちの間では、仮面舞踏会が楽しみとして頻繁に行われた。会社から強制されていない演技ができることが解放につながったとも言われている。

 一方で、浪費により借財を抱えるようになったスターもいた。それはスターの立場を弱めることにつながるため、映画会社・製作者はむしろそれを望んだという。

 こうしたスターたちとアメリカ社会との関係について、アレグザンダー・ウォーカーは「スターダム」の中で次のように書いている。

 「1920年代のハリウッドのお祭り騒ぎの場と化した物質的な富と享楽的な生活の重視は、同時にアメリカ社会全体の特徴でもあった。スクリーンは戦後(第一次大戦後)の経済的繁栄がもたらした生活様式を映し出し、また促進した」

 スターは社会の欲望充足の手本となり、人々の生活が映画に真似られ、映画が生活に真似られたため、何が幻想で何が現実かの区別が難しい状況になっていたとも言われている。

 だが、ドイツ映画が手ごわい競争相手に成長するといった状況の変化により、うなぎ上りの制作費を賄うに足る興行収入が1923年の終わり頃から得られなくなってくると、徐々に変化が起こるようになってくる。スターの高い給料が批判されるようになり、結果として、撮影所の合併や監督の独立性を奪う「管理人」の出現、定石的映画を作り出すシステムなどがハリウッドに完成されていくことになる。

スターダム―ハリウッド現象の光と影

スターダム―ハリウッド現象の光と影