ルビッチ、ネグリ・・・外国勢のハリウッド襲来

 1923年に短期間ながら急激な興行収入の落ち込みと映画製作の停滞に、ハリウッドは襲われた。第一次大戦によって停滞していたヨーロッパ映画は復興を見せる(特にドイツ映画)一方で、ハリウッドは紋切り型のストーリーと、スターの高額の出演料に苦しんでいた。

 そこでハリウッドは、1923年頃から監督やスターを海外から呼び寄せた。アメリカの相場では安いが、ヨーロッパでは高い金額を、ハリウッドは提示することができた。特にドイツとスウェーデンからが多く、両国の国内の映画産業はほとんど活動不能状態に陥ったという。ヨーロッパのスターたちには、ハリウッドのスターに欠けていた異国情緒を持っており、観客の人気を得たという。

 監督のエルンスト・ルビッチと、女優のポーラ・ネグリは「灼熱の情火」(1923)をドイツで製作しているが、その後、2人とも活躍場所をドイツからハリウッドへと移していく。

 ルビッチは、メアリー・ピックフォードに招かれて「ロジタ」(1923)を監督、ネグリは「ベラ・ドンナ」(1923)に出演する。

 念願のハリウッド入りを果たしたネグリを売り出すために、パラマウントはエキゾチックな容貌のネグリを、「グロリア・スワンソン最大のライバル現る!」というコピーで大々的に宣伝を行った。こうして公開されたネグリのハリウッド第1作が「ベラ・ドンナ」だ。ハリウッドの道徳が攻撃された時期に作られたこともあり、ネグリ演じる妖婦は控えめに描かれたため、ネグリの自発性は抑制されていると言われている。一方でネグリは、ルビッチがアメリカ人の好みに合うと考えた、軽くてセクシーな風刺をこなしているとも言われている。