D・W・グリフィス 理想と現実の狭間で

 かつて、「国民の創生」(1915)や、「イントレランス」(1916)を監督し、世界の映画界の中心だったD・W・グリフィスは、第一次大戦後のアメリカ映画界の好景気に乗った人々の喜ぶ映画を製作していたが、かつての理想や覇気は感じられなくなっていた。

 そんなグリフィスは、南部を舞台にしたメロドラマ「ホワイト・ローズ」(1923)などを監督している。「ホワイト・ローズ」は、かつてのグリフィス組女優だったメイ・マーシュの最後のグリフィス映画である。

 第一次大戦後のアメリカではそれまでの価値観からの転換が行われていたが、グリフィスはその流れに乗らなかった。それまで通り悲劇的な女優ばかり使い、クララ・ボウのようなセックス・アピールを持った女優は使わなかった。

 そんなグリフィスの態度について、森岩雄は「アメリカ映画製作者論」で次のように書いている。

「(グリフィスが)あくまでも人道的な立場、アメリカ固有文化の擁護という形を崩さなかったのは一つの見識とは言えるけれども、彼の映画から大衆が離れて行った現実は何とも避けがたいことであった」(P102)

 ちなみにグリフィスは、後に初のトーキー映画となる「ジャズ・シンガー」(1927)に主演してスターとなるヴォードヴィルの大スターだったアル・ジョルスンに目をつけ、「黒と白」のタイトルで自身の作品に出演させる予定だった。だが、ジョルスンは撮影には現れずヨーロッパへ行ってしまった。テストを見て俳優としての自分に自信がなくなり降板したのだとグリフィスは考えていたという。だが、グリフィスはその後も映画界でのジョルスンの成功を信じていたと言われている。

アメリカ映画製作者論 (1965年) (垂水叢書)

アメリカ映画製作者論 (1965年) (垂水叢書)