アメリカ映画史上最初の叙事詩西部劇「幌馬車」

 西部へと向かう幌馬車隊の人びとのドラマや恋愛を、インディアンによる襲撃、大河川の横断、飢えとの戦いといった西部劇の定石で描く「幌馬車」(1923)が製作されている。「幌馬車」は後に1ジャンルとなるロード・ムービー的な側面も持っている。

 パラマウントが製作した「幌馬車」の監督はジェームズ・クルーズであり、屋外シーンはユタ州ネヴァダ州の素晴らしい大自然の風景がロケで撮影された。製作費は78万ドルかかり、出演者は3千人にいたった。出演者のうち千人は本物のインディアンだったという。群衆シーンは当時の西部劇にはない大規模なものだった。

 監督は当初ジョージ・メルフォードの予定だったが、プロデューサーのジェシー・L・ラスキーが、ユタ育ちで西部を熟知しているジェームズ・クルーズに交替させたという。

 それまで西部劇と言えば、勧善懲悪のステレオタイプのヒーローものがほとんどだった。そのため、西部劇は格下のジャンルと見なされていたのだが、「幌馬車」の登場により、西部劇は一級のジャンルとして確立され、フロンティア・シピリッツを内包する開拓劇に押し上げられたと言える。

 「幌馬車」は、アメリカ映画史上最初の「叙事詩西部劇」と賞賛され、ニューヨーク公開では「国民の創生」(1915)の記録を破る大ヒットを記録した。また、「幌馬車」ヒットにより、西部劇がブームになり、それまで年50本程度だった西部劇は、1924年には150本以上に跳ね上がったという。

 ヴィクター・フレミング監督の西部劇「最後の一人迄」(1923)、オーウェン・ウィスター原作の2度目の映画化である「ヴァージニアン」(1923)といった西部劇が製作されている。

 1910年代を代表する西部劇俳優のウィリアム・S・ハートは、「二挺拳銃」(1923)で、ワイルド・ビル・ヒコックに扮している。ヒコックは山賊と戦い、町でも悪人を倒し、愛する女性が他の男性と結婚すると静かに去っていくというストーリーの作品である。この頃になると、ハートの作品は観客に飽きられ、派手なアクションを盛り込んだトム・ミックスに人気は移行していたという。

 ちなみに、「幌馬車」を監督したジェームズ・クルーズは、チャールズ・チャップリンやグロリア・スワンソンなど総出演した、オールスター映画の先駆けである「ホリウッド」(1923)も監督している。また、「男子改造」(1923)から製作も手がけるようになった。

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