シュトロハイムの苦難の始まり 「メリー・ゴー・ラウンド」

 「愚なる妻」(1922)で興行的なヒットを飛ばしながらも、その完璧主義から多額の製作費を使う監督というレッテルを貼られたエーリッヒ・フォン・シュトロハイムは、遊技場のオルガン回しの娘と伯爵の恋を描く「メリー・ゴー・ラウンド」(1923)を監督していたが、撮影途中で、ユニヴァーサルのプロデューサーのアーヴィング・サルバーグによってクビとなっている。

 これは前代未聞のことで、シュトロハイムは撮影中に解雇された最初の監督と言われている。原因は、シュトロハイムがエキストラの近衛兵にまでイギリスの紋章入りの絹の下着を注文したりしたことが、サルバーグの怒りを買ったと言われている。大作の「ノートルダムのせむし男」(1923)製作のために金が必要であり、シュトロハイムが製作費を浪費することを恐れたためだったという。ちなみにサルバーグは、「シュトロハイムと組むのは、金をシャベルですくって、井戸に放り込むようなものだ」と述べていたという。

 ルパート・ジュリアンが後任を務めて完成された映画のクレジットについて、シュトロハイムはユニヴァーサルに名前をはずすように求めたが、宣伝のために使用されたという。