「巴里の女性」 チャップリン唯一の悲劇

 チャールズ・チャップリンは、自身もオーナーの1人であるユナイテッド・アーティスツ社配給で、「巴里の女性」(1923)を製作している。森岩雄は、「アメリカ映画製作者論」で、チャップリンによる「巴里の女性」製作を「芸術家チャップリンを、製作者チャップリンが容認」と称している。

 「巴里の女性」は、9年間にわたってチャップリンの相手役を務めたエドナ・パービアンスを主演にした作品であり、チャップリンはエキストラとしてしか出演していない。ちなみにチャップリンはこの後、「鷗」をジョゼフ・フォン・スタンバーグに監督させて、エドナ主演で製作したが、あまりに非商業主義的な作品だったために公開されなかった。

 レストランのシーンの撮影においては、慣例に逆らった四方を壁で囲まれたセットを作った。また、本物の食事を給仕するなど、リアリズムにこだわったが、最終的にカットされた。

 「巴里の女性」は興行的に成功した作品にはならなかったが、作品的には高く評価された。暗示的な表現が工夫され、説明字幕を少なくして、濃密に内容を伝えるように作られていた。例えば、列車自体を見せないで列車の到着を表現したり、襟によって愛人の存在を表現するといったものである。

 日本では、「良い映画を讃める会」が優秀性を宣伝し、チャップリンに署名帳を贈り、チャップリンの撮影所に飾られたという話が残っている。

 「巴里の女性」は、チャップリンの認識をコメディアンから芸術家へと改めさせる力があった。そんなチャップリンについてバスター・キートンは、「バスター・キートン自伝」の中で、批判めかして次のように書いている。

 「私たちのなかでただ一人、インテリ批評家が押しつける天才という役割に耳を傾け、本気にすることができたのはチャップリンだけだ。私はときどき思うのだけれど、彼がいろいろ巻き込まれてきた問題は全部、自分が『最高の天才風刺作家』であり第一級の芸術家だとどこかで読んだときに始まったんじゃなかろうか。チャップリンはその一言一言を信じて、その名にふさわしく生きたり考えたりするようになってしまったのだ」