笑わない喜劇役者 バスター・キートン、長編へ

 笑わない喜劇役者として活躍(笑わないのは、ボスだったジョゼフ・スケンクからの指令だったとも言われる)したバスター・キートンは、ファースト・ナショナルと契約をして短編を製作していたが、この年からメトロに移籍して長篇を撮り始める。ちなみに、キートンがメトロに移籍したのは、ファースト・ナショナルが契約延長をしない電報を送ってきたためだったという。この電報は冗談だったのだが、キートンは本気にして移籍したと自伝で語っている。また、この電報のため、キートンはファースト・ナショナルと12本の短編映画製作の契約を結んでいたが、最後の1本は撮らなかったという。

 長編製作にあたってキートンは、従来の2巻物の短編の手法を洗い直そうとした。まず、観客が飽きてきていたパイ投げのギャグをやめた。また、不可能を安易に可能にしてしまうギャグも使わないようにした。そして作られたのが、「滑稽恋愛三代記(「キートンの恋愛三代記」)「荒武者キートン」(1923)である。


 「滑稽恋愛三代記(「キートンの恋愛三代記」)は、4つのエピソードで構成された作品で、「イントレランス」(1916)のパロディともいえる。6巻もので2巻物の短編3本をつなげたような体裁の作品になっている。

 「荒武者キートン」は19世紀を舞台にしたシチュエーションコメディである。1830年代のアメリカ。敵対する両家の子供同士が恋仲になり、激流に流されたヒロインを主人公が救うことで2人の仲が認められるというストーリーである。キートンは危険なスタント・シーンを自らこなしている。ちなみに、恋人役はキートンの妻のナタリー・タルマッジが演じた。

 長篇の移行により、キートンは年に2本(春と秋)公開のペースで映画を製作するようになった。短編では3週間だった撮影期間は、長篇になると一本当たり8週間かかるようになった。さらに、編集には2,3週間がかかったが、1本完成すると次の作品まで3週間くらい合間が取れたという。

 キートンはこの後、5年で10本の作品を製作していくことになる。キートン映画の特徴に機械やセットのアクションへの活用がある。キートンは機械やセットに金を惜しまなかったと言われている。

 その機械やセットとキートン作品の関係について、ロバート・スクラーは「アメリカ映画の文化史」の中で次のように述べている。

 「自分の喜劇のスタイルの基本として、機械的な発明と仕掛けを開発したという点では、無声時代の喜劇人のうちでもキートンがいちばんだった。それらは、彼の驚くべきアクロバット技術の付随旋律としてことに役立った。このアクロバットの才能があったからこそ、彼は頭脳によってでも偶然の幸運によってでもなく、ひとえに喜劇的な性格の結果として機械を打ち負かす事ができたのである」

 「チャップリン喜劇の幻想が階級差別の現実にもとづくものだったとしたら、キートンのそれはアメリカの機械文明が自然と遭遇する外界に足場を置いたものだった。チャップリン映画における『動き』の所在はつねに浮浪者にあったが、キートンの場合は『動き』自体が彼の映画世界の根本原理で、バスター自身からばかりでなく機械や自然環境から、またカメラからも発せられるものだった」

 さらに、ジョルジュ・サドゥールは、キートンが演じたキャラクターについて、「世界映画全史」の中で、次のように書いている。

 「チャーリーのように気が弱くても運が良く、巧妙で、器用で、憂うつそうな彼は、世間と人生の不条理に納得させられ、すべてを受け入れ、すべてを克服しそうに見える。とはいっても彼は、状況の不条理さの犠牲者となるよりも道化師たちの喜劇的な小道具を拡大した機械装置の不条理さの犠牲者となっていた」


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