フランス映画 ジャン・エプスタンの活躍

 ルイ・デリュックの提唱した映画独自の美を重視するフォトジェニー論を探求していたジャン・エプスタンは、秀抜なモンタージュの「まごころ」(1923)で評価を高めている。その他にも、「ラ・ベル・ニヴェルネーズ号」「赤い宿屋」「不実の山」(1923)といった作品を監督している。

 「まごころ」は、マルセイユの庶民街で繰り広げられるメロドラマであり、庶民生活についての鋭い感覚と、登場人物のすぐれた性格設定が、自然風景の中で描かれたリアリスティックな映画だったという。また、縁日市のシーンの加速されていくモンタージュが素晴らしく、回転している回転木馬から撮影された光景のめまぐるしい動きが当時としては新鮮だったと言われている。好評を得て、サイレント期のフランス最高の女優であるジーナ・マネスの存在を世に知らしめた。

 「ラ・ベル・ニヴェルネーズ号」は河船の船頭たちによるドラマで、自然風景の中で、河を登場人物の1人に仕立てた作品だが、興行的にも芸術的にも成功しなかったという。

 「赤い宿屋」は、冤罪事件の真犯人が夕食の席で罰をうける物語で、パテ・コンソルシウム社に雇われて演出を担当した。製作費と製作日数の制限が厳しく、セットは2つしか使えなかったという。現在と過去、豪奢と貧窮を交錯させながら描いた作品である。

 「不実の山」は、噴火するエトナ山を撮影したドキュメンタリーであり、イタリア当局の協力を得て撮影が行われた。エプスタンは、溶岩の色や流れる音から、色や音の重要性を考えたという。当時こういった考えを持つ映画人は例外的だったという。避難民の集団移動、神の怒りを鎮めようと願う行列、溶岩の流出など悲惨さを描き出したこの作品の撮影において、エプスタンは服に火がつくほど火口に接近したと言われている。