ドイツ 「街路の映画」とカール・マイヤー

 スタジオ主義のドイツ映画は、「室内劇映画」と呼ばれるジャンルの映画を生み出していたが、その延長で街路の世界をドラマに引き入れてリアリズムに近づいた「街路の映画」と呼ばれる映画も製作された。

 「蠱惑の街」(1923)は、そんな「街路の映画」の1つで、カール・グルーネが監督した。グルーネはラインハルト劇団の舞台演出家から1918年に映画に転向した人物だった。

 家庭に飽きた男が夜の街に出かけるが、殺人事件に巻き込まれた後、再び退屈な家庭に戻るというストーリーだった。街はセットで撮られたが、全体のタッチは写実的で、街の夜景に力点が置かれていたという。脚本はグルーネに加え、「カリガリ博士」(1920)の脚本家であるカール・マイヤーが協力し、一夜の出来事を無字幕で描いた。

 ちなみにカール・マイヤーは、「地霊」(1923)の脚本を担当している。無字幕映画としてマイヤーは考えていたが、最終的には多くの字幕を含んだ作品となったという。「地霊」はフランク・ヴェデキントが書いた2つの戯曲「地霊」「パンドラの箱」に基づいた作品で、ヴェデキントの舞台のオフィシャルな映画版として話題になった。監督は演劇界の大御所レオポルト・イェスナーが担当し、当時人気を得ていたアスタ・ニールセンが主人公のルルを演じた。ニールセン以外も超一流どころの名優が出演したという。しかし、完成した映画は演劇的な演出だったこともあり、評判は良くなかったという。


【関連記事】
映画評「蠱惑の街」