ソ連 フィルム不足の中の映画製作

 ソ連では、フィルム不足から制作される映画が減少し、1919年の約60本から1923年には約20本に減少していた。

 初期ソ連映画の重要人物と言われるウラジミール・ガルジンは、架空の国の皇帝のドラマである「亡霊がヨーロッパをさまよう」(1923)を監督したが、失敗作とされた。

 ソ連邦の一員であったグルジアでは、国内戦の少年赤軍兵の活躍を、西部劇風に語るイワン・ペレスチアーニ監督の「赤い小悪魔」(1923)が製作されている。