ソ連 エイゼンシュテイン初の映画製作

 前年から本格的に映画に関わり始めていたセルゲイ・エイゼンシュテインは、初の監督作である「グルーモフの日記」(1923)を製作している。といっても、舞台に挿入した映像作品で、短編のコメディだった。

 この頃のエイゼンシュテインは、レフ・クレショフから映画の演出法を学んでいたという。その代わりエイゼンシュテインは、当時美術監督をしていた労働者劇場を、クレショフの映画実験工房の稽古場として提供していたという。

 エイゼンシュテインは他にも、1923年に創刊された芸術左翼戦線機関紙「レフ」に「アトラクションのモンタージュ」という論文を寄稿している。また同じ号に、ジガ・ヴェルトフの「映画眼宣言」の論文も掲載されたという。

 ヴェルトフは、前年からドキュメンタリー「キノ・プラウダ」シリーズにアニメを利用したグラフやカリカチュアを挿入していた。そのヴェルトフのグループであるアレクサンドル・ブシキンやアレクサンドル・イワーノフが、アニメ映画を製作していた。彼らは「クリトキノ」というスタジオで、初のソ連製アニメ映画であり「ソビエトのおもちゃ」(1923)を製作している。