イギリス 不振と若い映画人の芽生え

 イギリスの映画製作は不振を続けており、1923年にイギリスで公開された作品のうち、イギリス映画は18%に過ぎなかった。だが、若い才能は徐々に活躍を始めていた。

 1922年に独立プロを設立したマイケル・バルコンは、フランス娘とイギリス仕官のメロドラマ大作「女対女」(1923)を、グレアム・カッツ監督で製作している。アメリカの人気女優ベティ・カンプソンと週給千ポンドで契約し、製作費4万ポンドを計上して製作されたこの作品は、1920年代きってのヒットを記録し、アメリカでの配給にも成功した。後にジョン・フォード映画の常連となるヴィクター・マクラグレンが小さい役で出演している。

 ちなみに「女対女」は、アルフレッド・ヒッチコックがマイケル・モートンの戯曲の映画化を提案して製作されることになったのだという。フェイマス・プレイヤーズのロンドン支社で字幕デザインをした後、バルコンの元で助監督になっていたヒッチコックは、この作品の、助監督、共同脚色、ダイアローグ、美術を担当している。

 前年より映画製作に乗り出していたハーバート・ウィルコックスは、ドイツ・ウーファ社のエーリッヒ・ポマーと提携し、「朱金昭(チューチン・チョウ)」(1923)を監督している。ウエスト・エンドのヒット・ミュージカルの映画化だったが、ヒットしなかったという。