スペインとフィンランドの映画製作 1923年

 それまでバルセロナマドリードが映画製作の中心地だったスペインでは、バレンシアも映画製作の中心に加わってきた。バレンシアでの映画製作の中心は、グランデス・プロドゥクシオネス・シネマトグラフィカス・エスパニョーラス社で、サルスエラ(スペインの叙情的オペラ)を原作とした「ラ・ドローレス」(1923)や「魔女」(1923)を製作した。監督はいずれもマキシミリアーノ・トウスだった。

 バスク地方でも映画製作が行われ、イスパニア・フィルムス社がアレハンドロ・オラバリーア監督で「ビルバオのドラマ」(1923)を製作した。

 当時のスペイン映画は、地方の土地に関わりのある作品を作ろうという傾向が強かったと言われている。スペイン北西部ガリシア地方のセルタ・フィルム社が製作した「マルーシャ」(1923)もそんな作品の1つで、有名なサルスエラの映画化である。監督はフランス人のアンリ・ヴォランが務めたという。

他には、後に保守的な道徳観を元に映画を製作していくことになるフローリアン・レイが出演した「マルーシャ」(1923)や、植民地だった北部モロッコの反乱によって1909年に起こったモロッコ戦争を題材にした「一兵士の回想」(1923)といった作品も作られている。

 フィンランドでは、国民主義的・民族的な作品が主流を占めていた。フィンランド映画界の中心人物だったエルッキ・カルは、国民的作家アレクシス・キヴィ原作の「村の靴作り」(1923)を発表している。