映画評「ノートルダムのせむし男」

製作国アメリカ 原題「THE HUNCHBACK OF NOTRE DAME」 ユニヴァーサル・ピクチャーズ製作・配給

監督ウォーレス・ワースリー 製作カール・レムリ、アーヴィング・サルバーグ 原作ヴィクトル・ユーゴー 脚本パーレー・プーア・シーハン、エドワード・T・ロウ・ジュニア 撮影ロバート・ニューハート 編集エドワード・カーティス、モーリス・ピーヴァー、シドニー・シンガーマン 美術エルマー・シェリー、シドニー・ウルマン

出演ロン・チェイニー、パッツィ・ルース・ミラー、アーネスト・トレンス、ノーマン・ケリー、ブランドン・ハースト


 ヴィクトル・ユーゴーの原作を映画化。醜い見た目から迫害され、大聖堂の鐘つきを生業としているカジモドが、ジプシーの娘であるエスメラルダの優しさに触れて恋に落ちる。だが、エスメラルダは近衛兵長に恋をしている。エスメラルダが濡れ衣から処刑されそうになるが、護送中にカジモドはエスメラルダの身柄を奪う。エスメラルダを奪いに来る大勢の人びとを相手にカジモドは1人で戦う。


 「ノートルダムのせむし男」は、ユニヴァーサルの大作として製作された作品である。15世紀のパリを再現したセットは見事で、大作に恥じない作品となっている。しかし、それよりも「ノートルダムのせむし男」についてよく語られるのはロン・チャニーのメーキャップだろう。

 チャニーのメーキャップは確かによく出来ており、醜いながらも人間らしい心を持っているというカジモドのキャラクターにぴったりだ。だが、私はそれよりも、チャニーの見事な動きに注目したい。足が曲がっているというカジモドの特徴的な歩き方は見事だ。だが、最も素晴らしいのは、鐘をつくときのカジモドの動きである。

 カジモドはその容貌から世間から迫害されて生活している。そんなカジモドが唯一世間とつながりを持つのは鐘を鳴らすときだけだと言ってもいいだろう。そんなカジモドが鐘を鳴らすためにロープを引っ張るときの生き生きとした様子を、チャニーは見事に表現している。ロープに飛びつき、全身を使って金を鳴らす姿は、「生きる」という躍動感に満ちているといっても過言ではない。言葉もしゃべれないカジモドが唯一できる感情の表現といってもいい「鐘を鳴らす」という行動は、すなわちカジモドのすべてをかけての行動といってもいいと思わせるくらいの躍動感をチャニーは見せてくれる。


 脚本は、随所に「鐘を鳴らす」というカジモドの存在証明とも言える行動にスポットを当てて、カジモドの「生」を描写しようとしている。しかし、残念なことに、エスメラルダや養父で革命家のクロパン、エスメラルダの本当の母親、エスメラルダを手中に収めようとする悪役といった多くの登場人物が織り成すストーリーを追うのに時間を取られてしまい、カジモドに焦点が合い切れていない印象も受ける。それゆえに、ストーリーはすんなり入ってくるし、チャニーの見事な演技があるにも関わらず、強く心に迫るものに欠けるように感じられた。


 それでも、「ノートルダムのせむし男」は、超大作として偉容は誇っている。大規模なセットと大群衆を使ったスペクタクルシーンは、見ごたえがある。「ノートルダムのせむし男」を見ていると、D・W・グリフィスのスペクタクル大作を思い出す。特に、中世フランスを舞台にした「イントレランス」(1916)の一部や「嵐の孤児」(1921)が思い浮かぶ。かつてはグリフィスが賭けのようにスペクタクル映画を製作したのに対して、ある程度余裕を持って「ノートルダムのせむし男」のようなスペクタクル大作が製作できるまでに映画産業が成長したのだということを感じる。

 グリフィスの作品と比べて、決定的に異なる点もある。それは、「イントレランス」や「嵐の孤児」が、「D・W・グリフィス」という刻印が押されているのに対して、「ノートルダムのせむし男」にはそういった刻印はないということだ。ロン・チャニーの見事な演技は「ノートルダムのせむし男」の中に確実にある。だが、それはあくまでも映画の中の部品の1つとしてである。それが悪いというのではない。映画がそう変わったということを感じるということだ。


 ちなみに、この作品の監督は、これまでチャニーと多くの作品でコンビを組んでいたトッド・ブラウニングが担当する予定だったが、ブラウニングが酒に溺れていたために変更になったという。また、この作品は、監督とスタッフの連絡のために、ワイヤレスのインターカムが使われた最初の作品と言われている。一方で、当時エーリッヒ・フォン・シュトロハイムがユニヴァーサルで「メリー・ゴー・ラウンド」(1923)を監督していたが、撮影途中でクビになっていた。クビになった理由は、「ノートルダムのせむし男」の製作費に回す資金が必要で、撮影に時間のかかるシュトロハイムよりを撮影が早い監督に変えて、経費を浮かせるためだったとも言われている。この作品の大作ぶりが感じられるエピソードだ。


ノートルダムのせむし男 FRT-301 [DVD]

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