映画評「CRAINQUEBILLE」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]フランス、ベルギー [製作]FILMS A. LEGRAND

[監督・脚本]ジャック・フェデー [原作]アナトール・フランス [出演]モーリス・ド・フェラウディ

 リアカーを引いて露店で野菜を売る生活を40年以上続けてきたクランクビーユは、街の人々からも好かれていた。だがある日、警官と口論になったことから逮捕され投獄されてしまう。

 エキゾチズムを売りにした「女郎蜘蛛」(1921)から一転して、パリに生きる市井の老人を主人公にした小さな物語を、フェデーが監督した作品である。冒頭の馬車でパリに運ばれる野菜の描写から、夜から明け方にかけてのパリの様子、活気あふれる朝市の様子に至るまでが、リアリズム溢れる映像と素早いテンポで描かれる。その後のパリの街並みの描写も含めて、ロケを多用することで得られたリアリティが、この作品の魅力の1つだ。

 リアリティを重視する一方で、裁判のシーンでは、クランクビーユの主観に基づいた心象映像を、二重写しなどを多用して見せたりもする。さらには、クランクビーユを擁護した通りすがりの男が悪夢を見るシーンは、シュールリアリズム的な映像を見せてくれたりもする。

 様々な技法を駆使して、クランクビーユの悲劇(とその先にある希望)を描いて見せる野心作である。それが成功したのは、クランクビーユ演じるフェラウディの存在感だ。40年に渡り野菜を売って来た男を、それ以外の人生を知らない男を、説得力を持って演じていることが、この作品の芯となっているのは間違いない。芯がしっかりとしていれば、映画はぶれないものだ。