映画評「戦く影」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]ドイツ [原題]SCHATTEN - EINE NACHTLICHE HALLUZINATION [英語題]WARNING SHADOWS

[製作]PAN FILM

[監督・脚本]アルトゥール・ロビソン [脚本]ルドルフ・シュナイダー [撮影]フリッツ・アルノ・ワグナー

[出演]フリッツ・コルトナー、ルート・ワイヤー、アレクサンダー・グラナック、フリッツ・ラスプ

 ある晩開かれたパーティ。放蕩な妻が、客としてやって来た男たちといちゃつく姿に、堪忍袋の緒が切れそうな夫。そこで、影絵術師がやって来て、パーティに参加している人々を思わせる劇を見せる。

 「戦く影」は、「カリガリ博士」(1919)を出発とするドイツ表現主義の作品群の1つ言われる。確かにとことんまで「影」にこだわった演出は表現主義と言えるかもしれないが、「兎にも角にも影を使っていろいろ実験してみよう!」という結果出来上がった作品のように思える。

 妻は手で影絵を作って楽しみ、夫が妻の浮気を誤解するのは「影」でのせいであり(何度も誤解を重ねる)、パーティの参加者たちを悲劇から遠ざける劇を見せる旅芸人は影絵を使う。とにかく、影、影、影なのだ。しまいには、妻と浮気相手への怒りで我を忘れた夫の影の頭の部分に、壁に飾られた鹿の角が生えているように見える・・・といったところまで来ると、少しコメディ的な雰囲気すら漂っている。

 その他の特徴としては、無字幕という点が挙げられる。当時ドイツでは、いかに映像を中心として映画を見せることができるかが追求されていた。監督としては、F・W・ムルナウが代表格だが、脚本家のカール・マイヤーや撮影のカール・フロイントなども中心となり、ドイツ映画界全体が映像への機運に満ちていた。1920年代のドイツ映画界が黄金期だったと言われるのは、ドイツ映画界に新しい映像表現への熱気があったからである。

 監督のアルトゥール・ロビソンはシカゴ生まれのアメリカ人で、ドイツにやって来て映画監督になった変わり種だ。そんなロビソンも、当時のドイツに吹き荒れていた新しい映像表現への熱波に乗って、「影」にひたすらこだわった作品としてできたのが、「戦く影」なのだろう。正直やり過ぎだと思う。だが、そこから伝わってくる映像への熱い思いは、決して無視してはいけないものだろう。


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