「ドロシー・ヴァーノン」と”少女女優”メアリー・ピックフォード

 大人の女優への脱皮を目指していたメアリー・ピックフォードは、秘策としてドイツよりハリウッドへやって来ていたエルンスト・ルビッチ監督の「ロジタ」(1923)に出演するも失敗に終わっていた。

 当初ピックフォードがルビッチに監督を依頼しようとしていた、大人の女性役の「ドロシー・ヴァーノン」(1924)が、ピックフォード映画を多く監督してきたマーシャル・ニーラン監督、ピックフォード主演で製作された。巨大なセットと衣装に100万ドルを越す制作費を投入したが、観客に受け入れられなかったという。ピックフォードは再びポリアンナのような少女役へと戻っていく。

 ピックフォードが試みた大人の女優への脱皮は成功することなかった。だが、それはピックフォードのキャリアが失敗だったことを意味しない。ピックフォードが少女役を演じ、人々に受け入れられてきた作品群の価値について、ジョルジュ・サドゥールは次のように「世界映画史」に書いている。

 「メアリ・ピックフォードは、単に型にはまったポリアンナでなかっただけでなく、彼女自身とその子供時代の多くを彼女の映画に注ぎこんだ。製作されてから50年後に見直してみると、それらの中のいくつかの作品は、この女優のヒットを生み出したニッケルオデオンの貧しい観客の好みにぴったり呼応する感動的で真実味溢れる人物を構成している。いくつかの面では確かに紋切り型の悲惨さが、1920年以降、彼女の映画とチャプリンのそれを別にすれば、大部分のアメリカ映画から姿を消してしまった感動的な要素を彼女の映画にもたらしている」


無声映画芸術の成熟―第1次大戦後のヨーロッパ映画〈1〉1919‐1929 (世界映画全史)

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