技術革新 1924年 トーキー、立体映画

 トーキーの商用実用化はまだ先の話だが、1924年にベル研究所が音を光に変調させてフィルムに感光録音させる現在のトーキー方式を完成させている。当時ベル研究所ウェスタン・エレクトリック・カンパニー傘下にあり、この方式は「ムーヴィートーン」と命名された。ウィリアム・フォックスのフォックス社が投資をしたが、映画界が好況の中で慌てて実用化する必要はなかったのだった。

 テレビによって追い込まれた1950年代の映画界が、起死回生策の1つとして適用するのが立体映画である。左右の眼に多少ズレた映像を見せて立体的に見せるというもので、17世紀以来の絵画や写真によって実験されていた。1924年にはJ・F・リーヴェンタールが「プラスティグラム」の名称で、短編立体映画を数本公開したと言われている。

 編集の分野では、小型フィルム編集機材であるムビオラが発売され、第一号機がダグラス・フェアバンクスの製作プロダクションに納品されている。

 また、当時のニューヨークの映画館の総数は578館、客席数は42万8926というレポートが発表されている。