フランス 「パテ」「ゴーモン」の栄光は戻らず

 リュミエール兄弟から第一次大戦勃発まで、世界の映画界をリードしていたフランスは、かつての栄光を取り戻せずにいた。1924年には、老舗のエクリプス社が清算され、エクレール社は「ラ・ソシエテ・アンデュストリエル・シネマトグラフィック社(S・I・C社)に取って代わられた。また、ゴーモン社もほとんど映画の製作を行わなくなっていた。そんな中、映画製作の継続に反対してパテ・コンソルシウム社を去っていたシャルル・パテが復帰している。パテはかつての主張を撤回し、大作の製作を認めたという。

 ゴーモン社はメトロ=ゴールドウィンと提携し、「ゴーモン・パレス」を「ゴーモン=ロウ=メトロ・パレス」と改称している。フランス国内からは反対の声が上がり、パテ・コンソルシウム社も反対声明を発表したという。ドイツでも1925年にウーファが、アメリカのパラマウントおよびMGMと協定を結ぶ。ハリウッドがヨーロッパへの進出を図っていた時期だった。