フランス ルイ・デリュックの33歳の死

 フォトジェニー論を提唱し、監督として実作も行ったルイ・デリュックは、「洪水」(1924)を監督している。

 三角関係に洪水による死を交えた作品である。トリック撮影で洪水を表現しようと思っていたが、偶然ローヌ河が氾濫して実際の洪水風景を撮影することができたという。

 そのデリュックは1924年3月、33歳で死去している。デリュックは自らが提唱したフォトジェニー論を、思うとおりに実践することが出来ずに世を去った。ジョルジュ・サドゥールは「世界映画全史」で次のように書いている。

 「フランス映画の不安定な条件がデリュックを押し潰し、死亡させるのに寄与したことは本当であった。いかなる大会社も彼を信用しなかったし、作品を創作するのに必要な手段を提供しなかった。彼は自分自身でそれらの手段を確保することができたが、その独立は相対的なものにすぎなかった。その題材の面でも彼はフランス市場の支配者である配給会社の要請を考慮しなければならなかった」

 それでも、デリュックが映画界に与えた影響は大きかった。そして、彼の名前はフランスの映画賞の1つ「ルイ・デリュック賞」として残っている。

無声映画芸術の成熟―第1次大戦後のヨーロッパ映画〈1〉1919‐1929 (世界映画全史)

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