フランス映画 独立監督マルセル・レルビエの活躍 「人でなしの恋」

 フランス印象派の代表的監督と言われたマルセル・レルビエは、製作費の問題でゴーモン社と仲たがいし、友人たちとシネグラフィック社を設立している。シネグラフィック社の作品は、パラマウントが世界配給を担当した。また、ルイ・デリュックの遺作となった「洪水」(1924)を製作したのも、シネグラフィック社である。

 レルビエはトルストイ原作の「復活」を監督していたが、途中で腸チフスになり、撮影中止となっている。「復活」は、パラマウントがハリウッドで別の監督で1927年に完成させている。パラマウントは映画権を買い取り、トルストイの息子を出演させた。

 その後、レルビエは「人でなしの恋」(1924)を監督している。1950年を舞台にしたSF的でアバンギャルドなドラマであり、相当な製作費をつぎ込み、撮影は眠らずに行われたという。公開時のパリでは、センセーショナルな映像のため観客が騒ぎ出し、批評も2つに分裂したと言われる。