その他のフランス映画 1924年

 ルイ・デリュックの提唱した映画独自の美を重視するフォトジェニー論を探求していたジャン・エプスタンは、この頃はアルバトロス社で映画を撮っていた。自分の子の写真をポスターに売った母親だが、子供が死んでしまうという内容の「ポスター」(1924)や、イヴァン・モジューヒン主演で、エプスタンの作品というよりもモジューヒンの作品とも言われる「蒙古の獅子」(1924)を監督している。

 ジャック・ド・バロンセリは「ネーヌ」「氷島の漁夫」(1924)といった作品で、レオン・ポワリエは「ラ・ブリエール」(1924)でフランス文学の映画化を行った。「氷島の漁夫」は、ピエール・ロティの傑作小説が原作である。ゴウ・メヴェルは15年間住み慣れたパリを離れて、父と共に故郷の港町に戻り・・・と言う内容だった。

 当時はフランス文学の古今の成功作が鉱山となっており、レオン・ポワリエとジャック・ド・バロンセリはフランス文学の映画化の監督を多く行ったが、商業主義の枠を出てないという意見もある。

 印象派の監督の1人に数えられている女性監督のジェルメーヌ・デュラックは、上流階級の舞台にしたドラマ「女優の心」(1924)を監督している。製作費の問題から、ドイツの巨大映画会社の申し出を受けて巨大なセットを組んで演出をした。ハリウッドの代表的監督セシル・B・デミル風の演出と脚本で、ハリウッドと張り合おうとした作品だったが、興行的には成功しなかったという。

 「嘆きのピエロ」(1924)は、二枚目スターのジャック・カトランが自ら監督・主演した野心作である。旅回りサーカスの道化師とその妻が、誘惑者の出現で苦しめられる物語だった。

 後に古典フランス映画の巨匠の1人となるジュリアン・デュヴィヴィエは、映画を扱った記録映画「人生を再生する機械」(LA MACHINE A REFAIRE LA VIE)(1924)を監督している。「映画の発明」「近代の映画」「今日の映画の芸術的方向」「如何にして映画は作られるか」の4章からなり、リュミエール兄弟、セシル・B・デミル、「カリガリ博士」(1920)などの作品の断片が使われているという。