ソ連 「メジラブポム=ルーシ社」誕生

 1924年1月、ソ連の建国者であるレーニンが死去している。レーニンは、ネップという経済政策を取っていた。ネップは荒廃した経済の復興のために、一部に市場経済を導入したものだった。

 映画会社「メジラブポム=ルーシ社」が誕生している。ドイツの労働運動支援組織のソビエト支部が、映画製作や輸出入を行う合弁企業として誕生させた会社である。「メジ」は国際、「ラブ」は労働、「ポム」は救援のロシア語の略称であり、「ルーシ」は革命前からの映画会社エルモリエフ社の従業員が作った民営会社である。ネップの元で民営会社として誕生するが、後に国家管理となる。

 また、モスクワでは初の国営映画製作・配給機関「ゴスキノ(国立映画)」が創設されている。ソ連邦の一員だったベラルーシ白ロシア)とアルメニアでも、国営の映画企業が誕生している。

 ソ連政府は映画鑑賞を推奨しており、1924年には映画館のない農村地帯に739の映画館を建てている。さらに、都市労働者のクラブにはフィルムの低額貸し出しを開始している。