松竹時代劇の革新

 関東大震災により、東京蒲田撮影所から京都下加茂撮影所にやってきていたスタッフのうち、現代劇部は蒲田へ戻ったが、時代劇部は下加茂に残った。下加茂のバラックのスタジオの設備を整え、白井信太郎の管理の下で映画製作を行った。

 沢村四郎五郎主演の情緒的な時代劇「お辰の死」(1924)や、小谷ヘンリー監督の「ロビン・フッド」を翻案したアメリカ式活劇「黒法師」(1924)などが作られていたが、全体としては低調だった。

 1924年7月、スキャンダルから蒲田撮影所長から格下げとなって下加茂撮影所へやって来た野村芳亭が、低調の下加茂時代劇の改革に乗り出した。沢村四郎五郎らのこれまでのスタッフを解雇し、絵画的な構成の「元禄女」(1924)といった作品を製作したのだった。