蒲田調とは何か?

 蒲田調とは何か?佐藤忠男は「講座日本映画」の中で、次のように書いている。「それまでの新派悲劇調の現代劇映画に、日常的なリアリズムと、明るいヒューマニティと、近代性とをもたらした」。

 彼らがお手本にしたのは、1910年代にユニヴァーサル傘下のブルーバード社が作った一連の作品だったと言われている。ブルーバード作品は、農村や都会の下層の庶民生活を扱い、愛や正義の物語を展開し、貧しくとも正直な若者を称えたものだった。当時のアメリカは急速に工業化・都市化が進み、反動としてそれまでのモラルを守ろうという動きがあり、その動きに呼応したのがブルーバード作品だったといわれる。日本もアメリカと同様の状況で、城戸とモダンな青年たちはアメリカ映画のこういった面に惹かれ、自らの映画へと換骨奪胎したと言われている。

 松竹蒲田撮影所長の城戸四郎が、最も評価していた監督は島津保次郎だったという。日常事を写実的に描きながら人間の真実を捉えるという城戸の考えを実践したのが島津だったと言われている。中学しか出ていなかったことをコンプレックスに思っていた島津の才能に注目して開花させたのは、城戸だった。2人のコンビが松竹蒲田の基礎を築いたとも言われる。

無声映画の完成 〜講座日本映画 (2)

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