映画評「バグダッドの盗賊」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ [原題]THE THIEF OF BAGDAD [製作]ダグラス・フェアバンクス・ピクチャーズ [配給]ユナイテッド・アーティスツ

[監督]ラオール・ウォルシュ [原作]エルトン・トーマス(ダグラス・フェアバンクス) [脚本]ロッタ・ウッズ [撮影]アーサー・エディソン [編集]ウィリアム・ノーラン [美術]ウィリアム・キャメロン・メンジース [衣装]ミッチェル・ライゼン

[出演]ダグラス・フェアバンクス、ジュラン・ジョンストン、メイ・ウォング、上山草人、南部邦彦、アンナ・メイ・ウォング、ブランドン・ハースト

[受賞]アメリカ国立フィルム登録簿登録(1996年)、キネマ旬報ベストテン(娯楽的優秀映画)1位

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 バグダッドの盗賊のアーメッドは、バグダッドの首領であるカリフが娘の求婚者を募集していることを知り、身分を偽って宮殿に入り込むも、ばれてしまう。アーメッドに恋をしたカリフの娘は落胆するも、最も珍しい宝物を持ってきたものと結婚すると宣言。他の3人の求婚者同様に、アーメッドも珍しい宝を探しに、命がけの旅に出る。

 200万ドルという当時としては最高級の製作費をかけて製作された超大作である。「奇傑ゾロ」(1920)、「三銃士」(1921)、「ロビン・フッド」(1922)といった歴史物を続けざまに製作・主演し、成功を収めていたダグラス・フェアバンクスでなければ実現できなかった作品といえるだろう。

 「アラビアン・ナイト」の挿話を元にしたオリジナル・ストーリーは、フェアバンクスのためのストーリーとなっている。ダグラス・フェアバンクス自身の哲学でもある「幸せは自ら獲得しなければならない」は、冒頭とラストで繰り返し描かれる(文字通り、文字として描かれる)。序盤のアーメッドのお披露目シーンでは、フェアバンクスの魅力であるお茶目ぶりを存分に見せる。しかも、フェアバンクスは自らの肉体美を強調するために、常に上半身は裸だ。

 「フェアバンクスのフェアバンクスによるフェアバンクスのため」のこの映画の序盤は、フェアバンクスが魔法のロープを腕だけで昇って見せたり、ポケットにしまった宝石を友人に渡すためにわざわざ逆立ちして見せたりと、フェアバンクスの身体能力の高さをアピールしてくれる。

 序盤がフェアバンクスが映画スターとして成功した要因であるお茶目ぶりと身体能力の高さを見せつけるためにあるとしたら、中盤以降は映画スターとして成功したフェアバンクスの資金力の豊富さを見せつけるためにあるかのようだ。

 この映画に登場するセットはとにかく巨大だ。モスクの巨大な扉は、一見普通の扉のように見えていたが、人が入ってくると普通の人間の5倍以上の高さがあることに気づかされ、驚かされた。演出も、巨大さを強調するように、距離を取って撮影されたショット(人間が豆粒くらいに見える)や高いところから撮影されたショットが頻繁に使われている。ちなみに、監督はこの後も活躍を続けるラオール・ウォルシュが担当している。

 さらに後半になり、アーメッドが宝物を探しに洞窟の奥へと向かうシーンでは、様々な映像的なトリック(二重露出や着ぐるみなど)を駆使して、スペクタクルの度合いが強くなる。アーメッドは火の柱を飛び越え、ドラゴンと戦い、ペガサスで空を駆けてみせる。

 映像的なトリックは見事だ。アーメッドとは関係のないところでも、モンゴルの王たちが空飛ぶ絨毯で飛ぶシーンなど見所に溢れている。モンゴルの王たちが空飛ぶ絨毯で、カリフの宮殿に入ってくるシーンの映像の滑らかさは驚嘆に値するといってもいいのではないだろうか。

 フェアバンクスが、それまでの作品以上に己の力を込めて作ったかのように感じられるこの作品は、見事なセットに見事な映像を見せてくれる。しかし、一方でセットが見事であればあるほど、映像が見事であればあるほど、肝心のフェアバンクス演じる主人公の存在がどんどん小さくなっているように感じられるのは気のせいだろうか。「今でも楽しむことができる映像」といった評価が多くされているし、確かにその通りだとも思うのだが、それはフェアバンクスの狙いであったようには私には思えない。

 主人公のアーメッドは、最初は単なる小悪党に過ぎない。「欲しいものは奪い取る」が心情のこの小悪党は、カリフの娘を愛してしまい、改心する。そして、もっと悪いヤツ(モンゴルの王)を最後にはやっつける。この展開は、この後に作られる多くの映画の中で繰り返されるものだ。フェアバンクスは、この後も繰り返し適用することができる公式を活かしている。一方で、この後同じ展開で作られた映画が、アクションシーンといったスペクタクルシーンを売り物にするだけの作品である場合が多いように(それはそれで悪くないのだが)、この映画もまたスペクタクルシーンに押しつぶされているように感じられた。

 D・W・グリフィスは、「イントレランス」(1916)で自らの作りたいものを作り上げた。しかし、その後同じように作りたいものを思い通りに作り上げることはできなくなった。ダグラス・フェアバンクスが金と熱い思いを込めて作ったと思われるこの作品を見ると、「イントレランス」を思い出す。この作品は「イントレランス」ほど興行的に失敗に終わったわけではないと思われるが、自らの思いを何よりも優先させて製作されている点や、キャリアが下降線をたどっていくという点においてだ。

 「イントレランス」の時代は、監督の時代だった。「バグダッドの盗賊」の時代は、スターの時代である。「イントレランス」と「バグダッドの盗賊」は、それぞれの時代の極端な例として教訓を与えてくれているように感じられる。

 ちなみに、この作品で巨漢のペルシアの王子を演じているのは女性なのだという。また、当時ハリウッドで活躍していた日本人俳優の上山草人が悪役であるモンゴルの王で出演している。


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