映画評「ピーター・パン」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ [原題]PETER PAN [製作]フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー [配給]パラマウント・ピクチャーズ

[監督・製作]ハーバート・ブレノン [製作総指揮]ジェシー・L・ラスキー、アドルフ・ズーカー [原作]ジェームズ・バリー [脚本]ウィリス・ゴールドベック [撮影]ジェームズ・ウォン・ハウ

[出演]ベティ・ブロンソン、メアリー・ブライアン、アーネスト・トレンス、シリル・チャドウィック

[受賞]2000年度アメリカ国立フィルム登録簿登録、1925年度キネマ旬報ベストテン娯楽優秀映画3位選出

 大人になることを拒否し、ネバーランドで自身と同じように身寄りがない子どもたちと住むピーター・パン。ピーター・パンに誘われてネバーランドにやって来たウェンディたちは、海賊のボスであるフック船長にさらわれてしまう。ウェンディたちを助けるために、ピーター・パンは海賊船に向かう。

 ジェームズ・バリーの有名な原作の映画化作品。映画化に際して、ピーター・パン役の決定にはバリーの承認が必要だったが、バリーのお眼鏡にかなう役者選びは難航。結局、18歳のベティ・ブロンソンが選ばれた。

 ピーター・パンは、現在でも舞台で演じられているポピュラーな存在である。そして、緑の服を着て、少年なのだが演じるのは少女というパターンが出来上がっている。サイレント版であるこの作品から、パターンは完成されている。そして、ハイライトはピーター・パンが飛ぶシーンだろう。それもまた、この作品でも見所の1つとして存在する。フック船長との海賊船での対決のアクションも見所の1つだ。だが、非常に良く出来た舞台の映画への置き換えのような作りに、少し不満を感じてしまった。

 まだ原作者のバリーが生きていた時代で、原作の知名度を活かした映画製作だったこともあり、遠慮があったことだろう。ヒットした舞台の映画化に、独創性は無用だったのかもしれない。だが、糸で吊るされて飛ぶシーンや、ライトを吊るしたティンカーベルを見ると、むしろ舞台で見た方がスペクタクルを感じるのではないかという気持ちがしてきた。

 キャスティングが難航したというピーター・パンを演じるブロンソンは身のこなしがキレイで、止まるべきところはカチッと止まり、美しいポーズを見せてくれる。ロシア・バレエの素養があったというのも頷ける。だが、ブロンソンの演技もまた非常に演劇的なのだ。ウェンディやフック船長など他の主要キャストと一緒になると、浮いている感じがしてしまう。

 着ぐるみ感が満載だが、逆に人間臭さを感じさせるイヌのナナやワニは、動きの見事さ(特にナナ)もあり、愛嬌あふれる存在として魅力的だ。一方で、実際の人間に魚の尾のようなものを履かせた大勢の人魚たちがうごめく姿は、見所の1つではあるが、どこか気味悪さを感じてしまった。

 展開で驚いたのが、毒を飲んだティンカーベルが死にかけた時だ。子どもたちが妖精の存在を信じると生き返るという設定のため、ピーター・パンは見ている人に向かってカメラ目線で「妖精の存在を信じて!そして手を叩いて!」と訴えるのだ。また、海賊になるように誘われた子どもたちが急に愛国心から拒否したり、フック船長を倒すと海賊の旗を降ろして星条旗を掲げたりと、愛国心を煽る要素が出てくるのにも驚いた。

 「ピーター・パン」は、恐らく舞台としてのピーター・パン役には100%ハマるベティ・ブロンソンが、舞台的な演技を見せる(なので魅力的ではあるのだ)一方で、着ぐるみのキッチュな魅力や、突然観客に直接訴えかけるギミックを仕掛け、愛国心も訴えるという、何とも奇妙な作品である。だが1つ言えるのは、ピーター・パンの世界は1924年にすでに固まっており、今でも変わらず生きているということだ。これは、すごいことである。


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