映画評「芸術と手術」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]ドイツ、オーストリア [原題]ORLACS HANDE [英語題]THE HANDS OF ORLAC [製作]BEROLINA FILM GMBH、PAN FILMS

[監督]ロベルト・ウィーネ [原作]モリス・ルナール [脚本]ルドウィヒ・ネルツ [撮影]G・クラムフ、ハンス・アンドロスチン 

[出演]コンラート・ファイト、フリッツ・コルトナー

 ツアーに出ているピアニストのオルラックの帰りを待つ妻のイヴォンヌ。帰ってくる日に駅に迎えにいったイヴォンヌは、夫が乗った列車が事故を起こしたことを知り現場に駆けつける。命が助かったオルラックだったが、ピアニストにとって大事な手を失うかもしれないことをイヴィンヌは医者から告げられる。

 監督であるウィーネは、ドイツ表現主義の最大にして(私は唯一だと思っている)傑作である「カリガリ博士」(1919)の監督を務めた人物である。「芸術と手術」もドイツ表現主義の流れを汲む作品と言われるが、監督と出演者(ファイト)が同じという以外には、これといったつながりを私は感じない。

 強いて表現主義的というとすれば、ファイトの演技だろう。犯罪者の手を移植されたと聞かされたファイト演じるオルロックの追い詰められた演技、額に浮かんだ血管が切れてしまうのではないかと心配させられるほどのファイトの熱演は、追い詰められた狂気をリアルではなく象徴的に表現しているかのようだ。セットの素晴らしさと表現主義を結びつける意見もあるが、サスペンス=ホラーとして良く出来た以上には思わなかった。

 そう「芸術と手術」はサスペンス=ホラーとして、ファイトの熱演に支えられた作品といえる。手を移植するという非現実的な設定はさておいて、殺人者の手を移植されたことによって、存在自体が殺人者に乗っ取られるのではないかとオルロックが思い込むという点が重要なのだ。その点において、ファイトの熱演は見事に役割を果たしている。

 ドイツ表現主義の作品として見ると肩透かしを食うかもしれない。そもそもドイツ表現主義として「カリガリ博士」の存在がワン・アンド・オンリーなのだ。サスペンス=ホラーという点で見れば、ファイトの熱演を楽しめる。「芸術と手術」はそんな作品である。