映画評「ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]ソ連 [原題]NEOBYCHAINYE PRIKLUCHENIYA MISTERA VESTA V STRANYE BOLSHEVIKOVMICHAEL [英語題]THE EXTRAORDINARY ADVENTURES OF MR. WEST IN THE LAND OF THE BOLSHEVIK」 [製作]ゴスキノ

[監督]レフ・クレショフ [脚本]ニコライ・アセーエフ [脚本・美術・出演]フセヴォロド・プドフキン [撮影・編集]アレクサンドル・レヴィツキー

[出演]ポリフィリ・ポドーベド、ボリス・バルネット、アレクサンドラ・ホフロワ、セルゲイ・コマロフ

 アメリカからソ連にやって来たウェスト氏は、アメリカで読んだ雑誌により、ボリシェヴィキ(武力によるロシア革命を主導したレーニン率いた一派)=残虐な集団という認識を持っていた。そのことを知った犯罪者集団によって囚われたウェスト氏は、自らの持つボリシェヴィキのイメージを利用して脅される。

 情報の流通が新聞・雑誌・ラジオ・映画くらいしかなかった当時において、革命後のソ連は謎の存在だった。そのためアメリカ人が持つソ連のイメージは大きく誤解されていたことだろう。そのことを題材にした作品であり、アメリカを批判した作品とも言われるが、見ていてあまりそんな気がしなかった。

 監督はレフ・クレショフ。無表情の男性の顔を映しだした同じショットを、別々の映像でつなぐと異なった印象を与えるという「クレショフ理論」で知られる人物である。理論家として知られるクレショフが残した劇映画の1つが、この作品である。

 理論家としての知名度を思わせる演出はあまりない。その代わりにあるのは、アメリカ流の流暢な語り口と、スラップスティック・コメディを思わせる演出だ。後に監督として活躍するボリス・バルネット演じるアメリカのカウ・ボーイが、投げ縄でロシア人を捕まえて木に縛るあたりは、スラップスティック的な演出のハイライトだ。

 アメリカを批判した作品に見えなかった理由の1つに、クレショフの演出がある。声高にアメリカを批判したりはしない。その代わりに、誤解を使ったウェルメイドなコメディを目指したかのような演出がなされている。

 内容においても、アメリカ批判というよりも、イメージの誤解を利用したコメディといった内容になっている。これまた後に監督として活躍するフセヴォロド・プドフキン演じる男をボスとする犯罪者集団は、ウェスト氏がイメージしていたボリシェヴィキと違っても、ソ連にも危険な犯罪者がいることを示しているかのようだ。

 当時のソ連映画を想起すると、濃厚なアジテーションを、クロース・アップやモンタージュを駆使した力強い演出で描いた作品に思い至る。だが、この作品の軽やかさを見ると、重く濃厚な作品ばかりではなかったことが分かる。

 劇映画を本格的に政府の管轄下で統制される間際に作られた作品であることは注意しておく必要があるだろう。なにせ、バルネットもプドフキンも役者として活躍している頃の作品である。映画の終盤に、ほんとうのソ連の姿として、工業化が進む様子の実写映像が映し出される。だが、この後のソ連映画は、終わりに付け足しのような形ではなく、全編に渡りソ連のメッセージを込めた作品となっていくのだ。