ハリウッド 工場的映画製作システムの完成

 1924年にはMGMが設立され、この年には敗訴しながらもパラマウントは勢力を拡大していた。それは、ハリウッドの工場的映画製作システムの完成を同時に示していた。

 大手の映画会社は、直営の映画館に提供する上映番組を確保するために、粗製濫造に陥った。唯一、ユナイテッド・アーティスツだけは高品質政策を取り、月1本程度の作品を送り出したという。効率よく映画が製作されるように分業が進み、製作マネージャーの全面的責任の元に映画製作は実行された。そして大衆に受け入れられやすいようにと、題材、展開、主人公たちも標準化していった。

 この頃のハリウッドについて、ジョルジュ・サドゥールは批判を込めて、「世界映画全史」の中で次のように書いている。

 「ハリウッドが、全世界の何十億人という観客に芸術あるいは人生の表現ではなくて、一つの<娯楽>を提供しようとしたことはまさしく本当である。偉大にして勇気のある映画作家たちによるいくつかの例外を除けば、普通の作品は、論争あるいは反省を喚起しかねない現実を避けている。娯楽という逃避を狙った大プロデューサーたちは、標準化された製品のために(シュトロハイムが言ったように)<ソーセージ製造機>を利用しながら、ハリウッドを巨大な夢の工場にしたのである」

 「労働者たちからその観客の大部分を集めたハリウッドは、1920年代(それに続く10年間と同様)を通して組織的に労働者たちの生活、仕事、闘争そして存在までも無関心であった。アメリカ映画の主たちにとって、映画は一つの<娯楽>、観客を日常生活の煩わしさから引き離して、三文小説の馬鹿げた信じられない世界へ誘い込む気晴らしでなければならず、そうあり続けなければならなかった」

 方法や目的は同じでも、各映画会社によってスタイルが違った。代表的な例を挙げると、パラマウントは「有名な題材を有名なスターで」がモットー、ユニヴァーサルはヨーロッパ的題材の作品を売りにし、MGMは豪勢な超大作で売り出した。