「セブン・チャンス」「西部成金」脂の乗ったバスター・キートンの映画製作

 チャップリン、ロイドと並んで三大喜劇王といわれるバスター・キートンは、「セブン・チャンス」「西部成金」(1925)に出演している。

 「セブン・チャンス」は、キートンが財産目当ての女性たちに追いかけられる作品で、転がり落ちてくる巨大な石からキートンが逃げ回るシーンが有名だ。「西部成金」は、一頭の牝牛とキートンが友情で結ばれるコメディである。

 1921年にナタリー・タルマッジと結婚したキートンは、1922年に長男ジョセフ・タルマッジ・キートンを、1924年に次男ロバート・キートンをもうけていた。だが、当時のキートンの私生活は幸せではなかったという。妻ナタリーの姉のノーマとコンスタンスは人気女優で富豪であり、ナタリーは負けじとキートンに贅沢三昧を迫ったと言われる。

 1920年代初めのハリウッドは不動産ブームで、バスターは雪だるま式に財産を増やしていた。ジョー・M・スケンクから5万ドルを借りて家を買い、6ヶ月住んで売ると8万5千ドルに。別の家を5万5千ドルで買って6ヶ月後に売りに出すと8万5千ドルという具合だったという。

 1924年、キートンビバリーヒルズに三寝室のこじんまりとした住宅を新築した。費用は3万3千ドルで、広い敷地とプールもついていたが、ナタリーは狭すぎて召使の部屋がないために気に入らなかったという。

 そこでキートンは、1925年にビバリーヒルズに大邸宅を建設している。2階建て、5寝室、召使たちの使う付属の寝室2つ、ガレージの上には庭師夫婦のために3室が設置された。土地家屋で20万ドル、内装に10万ドルかけ、イタリア別荘と謳われた豪邸は、ビバリーヒルズの名物になったという。

 ちなみにこの家は、離婚後にナタリーが1933年に売り払っている。その後百万長者のバーバラ・ハットンや俳優のジェームズ・メイソンが住んだ。メイソンは後に、邸内の地下室からキートン・プロ製作の映画プリントを発見している。また、後に「ゴッドファーザー」(1972)で映画プロデューサーの邸宅としてロケ撮影に使われている。

 当時のキートンの収入は、週給2千ドル+製作した映画の利益配分が年間10万ドルほどだった。だが、出費もすごかったという。ナタリーは姉たちのように女優として成功しなかった欲求不満を晴らすように、贅沢三昧の生活を送った。キートンも衣装に車、狩猟に釣りの道具など欲しいものはすべて買い込んだ。さらには、裏庭には大きな水泳プールを作り、パーティ好きの2人が開くパーティは、豪華な顔ぶれでハリウッド人たちの人気のパーティになったという。