グロリア・スワンソン ヨーロッパ貴族との結婚

 大スターだったグロリア・スワンソンは、「ありし日のナポレオン」(1925)の撮影のためにフランスにいた。「ありし日のナポレオン」は、ハリウッド女優が初めてフランス映画に主演した作品で、スワンソンは若き日のナポレオンが常連だった洗濯屋の女主人を演じている。渡仏したスワンソンの一行はまるで大名行列のようで、一流ホテルのワン・フロアを借り切ったという。

 スワンソンは、「ありし日のナポレオン」撮影中の通訳だったアンリ・ド・ラ・ファレーズ侯爵と三度目の結婚している。このことによって、スワンソンはヨーロッパの貴族と結婚した最初のハリウッド人となった。侯爵と結婚したとき、スワンソンは身ごもっていたが、結婚前に子供が出来ていたことに対しての批判を恐れ、スワンソンが契約していたパラマウントのアドルフ・ズーカーとジェシー・L・ラスキーは、堕胎させたという。スワンソンは生涯このことを後悔したと言われている。

 撮影所に戻るときには、「アス コウシャクト ツク。カンゲイノ ジュンビ コウ」という電報を打ったという。「ありし日のナポレオンのプレミアの観客は、自主的に立ち上がって「ホーム・スイート・ホーム」を合唱したという話もある。

 そんなグロリア・スワンソンの人気は衰えず、この頃には週給2万ドルになっていた。「当り狂言」(1925)の撮影のために、ウェスト・ヴァージニア州のニューマーティンスヴィルを訪れたときには、知事が到着日を休みにしたために、市民の半分が駅でスワンソンを迎えたという逸話がっている。

 「女心」(1925)では、スワンソンは母と娘の二役を演じている。妻のある男と恋仲になったジョイスは、男の妻によって窮地に陥るのだが・・・という内容の作品だ。

 スワンソンは泳げないのに海に飛び込む役を演じたりもしたと言われており、成功の理由の1つには、度胸のよさがあったとも言われる。また、映画化された「あれ」(1927)で有名な恋愛小説家であり、ルドルフ・ヴァレンティノなどスターに人気を保つ手段を売り込んでいたエレノア・グリンは、スワンソンが目で演技できることを賞賛していた。