「魔女」のベンヤミン・クリステンセン、ハリウッドへ

 「魔女」(1922)を監督した後、スウェーデンやドイツで映画監督をしていたベンヤミン・クリステンセンは、MGMに招かれてハリウッドへと渡っている。メイヤーは「魔女」の試写を見て驚き、シェーストレームに相談した上で契約を申し込んだという。ちなみにクリステンセンは、かつて製作した「復讐の夜」の売り込みのために1916年にも渡米したことがある。その際には、ヴァイタグラフが作品を購入している。さらに、ヴァイタグラフはクリステンセンに監督としての契約を申し出るが、クリステンセンは断っていた。1913年の初監督作「密書」がアメリカで成功したときにも、ヴァイタグラフはクリステンセンに契約を申し出て、断られていた。

 またクリステンセンは、ハリウッド行きの前にドイツで「悪い噂の女」(1925)を監督している。