その他のアメリカ映画 1925年

 1919年に設立されたユナイテッド・アーティスツは、1925年にシェンク兄弟の兄、ジョゼフ・シェンクが社長となってから、サンタモニカ大通沿いに撮影所も建設し、順調に成長したと言われている。

 ワーナー・ブラザースで脚本家として活躍していたダリル・ザナックは、1925年にワーナーの製作部長となっている。まだ23歳の若さだった。

 ユニヴァーサルで雑用係から道具係、助監督を務めていたウィリアム・ワイラーは、1925年に23歳で「悪漢野郎」(1925)という2巻物の西部劇で監督デビューを果たしている。続けて、1週間程度で製作するB級西部劇を監督しながら腕を磨いた。

 後に大スターとなるジョーン・クロフォードが本名のルシール・フェイ・ルスールの名で映画『美人帝国』の端役でデビューを果たしている。クロフォードは、チャールストンコンテストで優勝したことがきっかけで、コーラスラインの一員として活躍していたところを見出されて、MGMと契約していた。

 「ダーク・エンゼル」(1925)は、H・ビー・トレヴェリアンの舞台劇の映画化したメロドラマで、戦争で失明した主人公が婚約者から身を引くために戦死したと思わせるという内容の作品である。

 「バグダッドの盗賊」(1924)で、モンゴルの王子役を演じて注目を集めた日本人俳優の上山草人は、この頃の多くのハリウッド映画に出演していた。この年は、「スエズの東」(1925)や「彼女の唇」(1925)などに出演している。