ソ連 映画産業体制の進展 「ソフキノ」の誕生

 1924年に創設された国営映画製作・配給機関「ゴスキノ(国立映画)」は、1925年に輸出入機能も含む「ソフキノ」に発展している。また、レニングラードに改称されたペトログラードに、1924年に設立されていた「セフザップキノ(北方映画)」は、1925年に「レニングラード・キノ」に改称されて、ソフキノ傘下となった。

 上映の面では、「ソビエト映画友の会(ODSK)」が創設されており、ソビエト映画の大衆的な普及を組織化したという。また、映画館数は1925年には2,579館に増えていた。

 機器の面では、1925年から映写機の国産が可能になったという。